>「かもしれない」(笑)
投稿者: qoraboy 投稿日時: 2005/03/24 13:56 投稿番号: [26551 / 66577]
全くどうしようもないボケ?
>軍艦 28隻:82隻 水雷艇 24隻:25隻 総トン数 59000t:85000t<
という数字も出てきました。
数値から真実が読み取れないの?
「鈍珍感」だね!
【日本】 【清国】
軍艦 28隻 82隻
水雷艇 24隻 25隻
総トン数 59000t 85000t
>ほれ。
「日本海軍の艦船数が清国より多かった」根拠を出しなさい。
「事実」なんでしょ?
トン数で÷船の総数
清国においては、
鎮遠、定遠のトン数の大きい新鋭軍艦を除けば、トン数が極端に減る。
つまり、船あたりのトン数が小さい。軍艦と言えない場合 ⇒ 数が多い
対して、日本が軍艦で、一艘あたりのトン数が大きい。
日本の軍艦を清国の船のような規模に換算すると、日本の方が絶対に多いと言っるのだ。
つまり、日本の船が軍艦と呼ばない場合⇒数が絶対多い。
結論:
日本軍艦が平均的に軍艦らしく、海軍力が強いと言っている。
日本は、海軍に力を注ぐ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~gomenmar/kaigun.html
>>>>
清国軍
清国本来の正規軍は八旗と緑営であった。八旗は満州族の世襲軍で平時は行政単位で戦時のみ軍隊編成の単位であり、清朝の支那支配に伴い武力をもって漢民族を支配する地位にあった。約29万人と言われた。緑営は漢人のみで編成し、各省に駐屯させて治安の維持に当たらせていたものであり、約54万人と言われた。これらは清朝建国当時の制度をそのまま受け継ぎ創設以来約200年以上経ており、大砲と機関銃の時代に弓と太刀の技術によって将校を採用していた。軍制は乱れ精神的にも腐敗堕落しており、「阿片戦争」や「太平天国の乱(長髪族の乱)」などでもはや軍隊としての実態を失っていることを露呈していた。
これらに代わって清国軍の実戦力となったのは勇軍と練軍である。
勇軍は、阿片戦争などで正規軍が無力であったために応急的に編成した私兵集団で、傭兵的な色彩を持っていた。練軍は、八旗の中から選抜されたもので外国人将校の訓練を受けた新式軍隊である。開戦当初の勇軍・練軍の総員は約35万名、戦時に新たに募集し総数約98万にも達したが、本戦争に使用されたのは直隷省近くにあった部隊だけである。それでも日本軍よりもはるかに多かったが、その多くは編成・装備・訓練も統一されていない雑多な軍隊であった上に、統帥組織に欠点を抱えており全軍を集中的に運用することができなかった。そのなかで李鴻章直率の北洋陸軍約3万と東北三省の練軍5千名は精鋭部隊であった。
<<<<
日本は上記の情報を十分に熟知の上、清国を侵略する勇気があった。
それは、清国軍を簡単に打ち破れると思ったからだ。
根拠に基づく解説は、貴方にはできるかな?
できなければ、根拠、確証なんか、もう云わないでくれ!
笑ったよ。
>軍艦 28隻:82隻 水雷艇 24隻:25隻 総トン数 59000t:85000t<
という数字も出てきました。
数値から真実が読み取れないの?
「鈍珍感」だね!
【日本】 【清国】
軍艦 28隻 82隻
水雷艇 24隻 25隻
総トン数 59000t 85000t
>ほれ。
「日本海軍の艦船数が清国より多かった」根拠を出しなさい。
「事実」なんでしょ?
トン数で÷船の総数
清国においては、
鎮遠、定遠のトン数の大きい新鋭軍艦を除けば、トン数が極端に減る。
つまり、船あたりのトン数が小さい。軍艦と言えない場合 ⇒ 数が多い
対して、日本が軍艦で、一艘あたりのトン数が大きい。
日本の軍艦を清国の船のような規模に換算すると、日本の方が絶対に多いと言っるのだ。
つまり、日本の船が軍艦と呼ばない場合⇒数が絶対多い。
結論:
日本軍艦が平均的に軍艦らしく、海軍力が強いと言っている。
日本は、海軍に力を注ぐ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~gomenmar/kaigun.html
>>>>
清国軍
清国本来の正規軍は八旗と緑営であった。八旗は満州族の世襲軍で平時は行政単位で戦時のみ軍隊編成の単位であり、清朝の支那支配に伴い武力をもって漢民族を支配する地位にあった。約29万人と言われた。緑営は漢人のみで編成し、各省に駐屯させて治安の維持に当たらせていたものであり、約54万人と言われた。これらは清朝建国当時の制度をそのまま受け継ぎ創設以来約200年以上経ており、大砲と機関銃の時代に弓と太刀の技術によって将校を採用していた。軍制は乱れ精神的にも腐敗堕落しており、「阿片戦争」や「太平天国の乱(長髪族の乱)」などでもはや軍隊としての実態を失っていることを露呈していた。
これらに代わって清国軍の実戦力となったのは勇軍と練軍である。
勇軍は、阿片戦争などで正規軍が無力であったために応急的に編成した私兵集団で、傭兵的な色彩を持っていた。練軍は、八旗の中から選抜されたもので外国人将校の訓練を受けた新式軍隊である。開戦当初の勇軍・練軍の総員は約35万名、戦時に新たに募集し総数約98万にも達したが、本戦争に使用されたのは直隷省近くにあった部隊だけである。それでも日本軍よりもはるかに多かったが、その多くは編成・装備・訓練も統一されていない雑多な軍隊であった上に、統帥組織に欠点を抱えており全軍を集中的に運用することができなかった。そのなかで李鴻章直率の北洋陸軍約3万と東北三省の練軍5千名は精鋭部隊であった。
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日本は上記の情報を十分に熟知の上、清国を侵略する勇気があった。
それは、清国軍を簡単に打ち破れると思ったからだ。
根拠に基づく解説は、貴方にはできるかな?
できなければ、根拠、確証なんか、もう云わないでくれ!
笑ったよ。
これは メッセージ 26549 (aqualine2000jp さん)への返信です.
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