本当の知識人
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2003/11/18 12:20 投稿番号: [2635 / 66577]
gogai3000さんのおっしゃっている「知識人」は、中国系知識人のあるべき姿とかなり異なっているような。。。
中国系というのは、幾重にも重なったベールというか、布に包まれた(殻と書くと、どうも硬いイメージがあるので良くないですが)、自我(それも、私たちが想起するような、或いは、魯迅が想定するような、近代的自我ではない)を持っています。
この、中国系自我は、非常に硬く、何があっても曲げない部分なのですが、非常に小さい玉のようなものだと思ってください。
で、その玉を包み込むようにして柔らかな布の層がある。で、この布の層を相手によって、色を染め替えることで、柔軟にさまざまな他人や環境に対応していく。
こんな感じだと、ご理解いただけますか?
そうして、自我を曲げずに、生き抜く。
これが、中国系知識人の姿だと、思いますが。。。いかがなものでしょうか?
だから、不分明な部分は不分明なまま、曖昧は曖昧として、そのまま、どこかの布にその色が染められているだけで、いつでも、その色の布をまとうことができる、というような。
ま、そうしたことが、良きにつけ悪しきにつけ、中国系なのだと。
隠者の知恵と商人の悪知恵が混在したのが、旧態然とした中国系自我だと思うのですが。魯迅の近代的自我は、いまだ、受け入れ難し、ということには、昔も今も変わりないと。。。
これは メッセージ 2633 (gogai3000 さん)への返信です.
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