先進国とは、近代化とは
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2005/02/21 10:31 投稿番号: [24667 / 66577]
何を持って先進国というのか、近代国家というのかを考えておく必要がある。
結局はその国民が幸福に暮らしているかが判断基準なのだろうが、この幸福とはきわめて曖昧であり、個人の価値観、文化による価値観で大きく変わる。従って、このような主観的な幸福を基準にして各国の先進性、近代性を比べてもあまり意味はない。
客観的な事実で比べることになるのだが、欧米でその数字を出すとき、生活レベルや個人資産、購買力などを指標とする、いわば欧米型の判断基準を用いることになるので、そのつもりで見る必要がある。
ものがたくさんあることが一つの幸福の指標にはなるだろう。だが、人間が安心して暮らせるか、豊富な情報に接しているか、自分で判断出来、自分の意見を述べ、自分たちの生活に反映出来るかなどは欠かせない条件だろう。つまり基本的人権がどれだけ重要視されているかだ。これがないがしろにされている国は間違いなく未開国なのだ。
一部の国ではたまたま地下資源に恵まれたため外貨が得られ急速にインフラを整備しているが、国民は支配層に対し意見を言えず、情報が限られ単に支配されているだけの場合がある。これは近代国家でも先進国でもない。
上記を満たすのは民主国家だけであり、つまり民主国家でない国は比較の対象から外れる。
民主国家でも国民が広い情報に触れ、自分で判断出来るかどうかは、情報が変更していないかどうか、つまり多数の報道メディアがあるかどうかと、それを理解するだけの教養を国民が等しく持っているか、つまり教育システムが上手く出来ているかどうかが重要だ。
おなじ民主国家でも、国民が安全に暮らしているかという点では、平均寿命の長さ、犯罪発生率の低さが重要なファクターになる。
それらを比較してみると、日本はかなりの上位に位置する。自画自賛ではなく、客観的な数字がそれを示している。
近代化、先進化とはどういう事か、考えてみる必要があるだろう。
もちろん、日本にも問題山積だ。所詮究極の近代国家、先進国など無いのであり、常に努力目標なのは言うまでもない。
結局はその国民が幸福に暮らしているかが判断基準なのだろうが、この幸福とはきわめて曖昧であり、個人の価値観、文化による価値観で大きく変わる。従って、このような主観的な幸福を基準にして各国の先進性、近代性を比べてもあまり意味はない。
客観的な事実で比べることになるのだが、欧米でその数字を出すとき、生活レベルや個人資産、購買力などを指標とする、いわば欧米型の判断基準を用いることになるので、そのつもりで見る必要がある。
ものがたくさんあることが一つの幸福の指標にはなるだろう。だが、人間が安心して暮らせるか、豊富な情報に接しているか、自分で判断出来、自分の意見を述べ、自分たちの生活に反映出来るかなどは欠かせない条件だろう。つまり基本的人権がどれだけ重要視されているかだ。これがないがしろにされている国は間違いなく未開国なのだ。
一部の国ではたまたま地下資源に恵まれたため外貨が得られ急速にインフラを整備しているが、国民は支配層に対し意見を言えず、情報が限られ単に支配されているだけの場合がある。これは近代国家でも先進国でもない。
上記を満たすのは民主国家だけであり、つまり民主国家でない国は比較の対象から外れる。
民主国家でも国民が広い情報に触れ、自分で判断出来るかどうかは、情報が変更していないかどうか、つまり多数の報道メディアがあるかどうかと、それを理解するだけの教養を国民が等しく持っているか、つまり教育システムが上手く出来ているかどうかが重要だ。
おなじ民主国家でも、国民が安全に暮らしているかという点では、平均寿命の長さ、犯罪発生率の低さが重要なファクターになる。
それらを比較してみると、日本はかなりの上位に位置する。自画自賛ではなく、客観的な数字がそれを示している。
近代化、先進化とはどういう事か、考えてみる必要があるだろう。
もちろん、日本にも問題山積だ。所詮究極の近代国家、先進国など無いのであり、常に努力目標なのは言うまでもない。
これは メッセージ 24666 (tokagenoheso さん)への返信です.
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