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日中戦争を仕掛けたのは誰か 3

投稿者: okureteru2005 投稿日時: 2005/02/11 11:15 投稿番号: [23977 / 66577]
日中戦争の端緒3   第2次上海事件

1937年8月9日   第2次上海事件

事件の経過   (wikipediaから)
事件の発端は1937年8月9日に起こった、海軍中尉・大山勇夫殺害事件である。午後6時半ごろ、彼は上海の紅橋飛行場近くの路上で狙撃され、死亡した。大山は海軍陸戦隊の隊長で、その日も海軍の制服を着ていたため、海軍人を狙った犯行であることは間違いないと思われた。また、同行していた斎藤一等水兵は拉致された。この同じ日、日本と中華民国の間では盧溝橋事件以来続いていた、日華間の緊張を改善させるための閣僚級会談が開かれたが、この事件によって緊張は再び高まり、日本は2個師団を派遣して戦闘が始まった。
8月13日、上海にて日華両軍に戦闘がはじまり、黄浦江の日本艦隊は中国軍陣地に砲撃を加えた。8月14日、中国空軍が日本艦隊を空襲したが、爆弾のほとんどはフランス租界や共同租界に落ち、2000人あまりの死者が出た。その同じ日、日本海軍は中国本土への空襲を始めた(渡洋爆撃)。
こうして両国は互いに宣戦布告しないまま、本格的な戦争へと進んでいった。

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http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-sina2.html
国民政府は、英米他の代表の斡旋によって成立した上海事変停戦協定(昭和7年)に違反して、既に昭和11年末ころから非武装地帯の要塞化と軍隊配置を行っていたが、北支事変勃発後、上海方面の支那軍の集中はますます顕著になった。8月に入ると閘北(ざほく)方では保安隊に儀装した中央軍が連夜演習を行い不安は増大していた。   8月6日   岡本季正上海総領事は在留居留民に対し租界へ退避するように指示した。更にこの日上海警備司令   張治中は「徹底的長期抗戦をもって日本軍を殲滅すべく、今や最良の好機である。日本の作戦持久は6ヶ月を越えない」と管区将兵に訓示した。   当時の上海は中共の活動拠点地の一つであり、集結しつつあった支那軍の動きから考えても、まさに火薬庫の観があった。
=====   大山事件   =====
参謀本部では出兵は北支にとどめ、上海・青島には拡大しないよう極力努力していたが、昭和12年8月9日1830   陸戦隊西部派遣隊長大山勇夫海軍中尉と斎藤与蔵一等水兵が支那保安隊よって射殺される事件が発生した。第3艦隊司令長官・谷川清中将は、南京政府に対し停戦協定区域内におけ支那軍・同軍事施設の撤去を要求した。8月10日   閣議で海軍大臣・米内光政大将は、上海方面の状況を説明したのち、真相判明を待って対処したいが、さしあたり陸軍部隊の動員準備を願いたいと発言した。   石原部長は反対したが杉山陸相はこれを諒承、閣議では現地居留民保護を再確認し陸兵派遣の準備を容認した。
8月11日以降   事態は急速に悪化した。支那側は大山事件に対する第3艦隊長官の要求を拒否するどころか、公然と軍隊を上海に増強させ、租界地周辺に陣地を構築するなど挑発的態度を強化、兵力は計5万にも及んだ。対する我が海軍陸戦隊は4千に過ぎず、この夜応急警備についた。   第1次上海事変(昭和7年3月)でも日本軍と激戦を交わした張治中指揮の支那軍は、8月13日   総攻撃を開始、我が陸戦隊は断固応戦するも14日には優勢な支那軍の包囲攻撃を受けるに至った。
=====   上海会戦   =====
8月14日   支那空軍は上海租借地を爆撃。初戦果を挙げた。   一方我が海軍航空隊は台湾から上海杭州の飛行場を空襲、さらに15日からは九州から南京に対する渡洋爆撃が行われた。
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