23550読みましたか?
投稿者: aqualine2000jp 投稿日時: 2005/02/06 17:37 投稿番号: [23702 / 66577]
過去ログ「ではない」と書いております。
google検索でいくつかのHPから引用しました。
これらが絶対正しいとは言いません。
そして、ちょっと間が開いてますが、23550でこれら検索結果を踏まえワタクシの見解を書いております。
「虐殺の主体」問題を提起したのは他の方。
ワタクシはその論拠によらずとも、「(日本軍の行為に)妥当な作戦の逸脱は無い=虐殺とは言えない」
(一部の暴走、個々人の失態は当然別に是非を問うべきものです。)
と言う立場を採ります。
別に説得などしようとは思っていない。
限界はアナタのほうでしょう。
「可能性」を受け入れる許容範囲を持たないのだから。
単なる可能性の提示にいきなりキレた発言を投げつけたのだからね。
「虐殺があった」というHPがある。それの「根拠」を検証し、覆したHPもある。
国民党軍の蛮行や共産党とのなすりあいを指摘したHPもある。
この掲示板では「虐殺の主体」など問われていなかったが、そういう見解・論点もありうるという提示の一体ナニが不当であるか?
さらにヒトの見解を勝手に解釈し「虐殺否定から転向」などと決め付ける。
要は、「中国人の汚点」は、その可能性すら認めない。それだけでしょ。
そんな考えが存在することが許せない。
反論するなら、国民党軍の軍規正しい実態でも探して来ればよい。
逃げ惑いつつも民衆に配慮し、指導者軍人が率先して侵略者を身を挺して撃退した記録でも出せばよい。
なんでそれをせずいきなり後ろから打つだとか一味だとか言い出したのか??
そのような態度が、可能性をただ感情的につぶす対応が、学術的でないと指摘したまで。
日本人は先祖を不当に貶められ、すでに謝罪も補償も血税を持って「済ましている」。
今更虐殺が「あった」と再認識されても痛くもかゆくもない。
しかし何故か「可能性」だけでも「虐殺否定」の要素が増えることが許せない方々がいるようですね。
よほど「痛い」のでしょうかね。
学術研究は「可能性」から始まると思っていたが、どうやら違う世界もあるらしい(笑)
これは メッセージ 23694 (wangjunhe720 さん)への返信です.
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