>国民性
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2004/11/28 02:04 投稿番号: [16432 / 66577]
どの地点で国民性と言うのを持ち出すか、これは問題の一つでしょうね。
日本人は、自分をほぼ単一民族と定義し(多少の消長も含め)思っているかもしれないが、中国や他の多民族国家ではそういう風に、簡単に切り出せないかもしれない。その言い方を。
以上は僕の感じた違和感の一つ。
>日本人の一般的な感覚は、死で全てが浄化されるという意識が根底にあります。この認識の差が、A級戦犯合祀と密接に絡んでいると思います<
人は死んだが、その人の行為及び精神的なものは消えないよ。
そうでないと、人には善悪の区別がつかなくなります。
善悪は究極的にやはり精神の問題です。
逆に貴方の言うように「死体になればそれで終わりです」、と言うのであれば、別に拘って英霊として神社に祭る必要もなくなるのではないか?なぜ拘る?
しかも「英霊」として?
つまり貴方のいう「終わり」ではなくて何らかの形で「生きている」、ということになる。
だから「認識の差」というより、相対的な立場、相対的な認識だと思います。
あるところでは、貴方、乃至日本人にとって悪であることは、我々にも同様に悪であり、善についてもまた同じことが言える。
ここでA級戦犯というのは、貴方乃至日本人は、他に多くの国は人々とまったく同じ認識を持たなくとも、主たって「善」と主張しなければ、妥協ができる。
私はこれは原因の所在だと思います。
公式参拝は、ただ自分の「内政」だろうか?いいえ、それは政治的メッセージです。主張です。
これを、いろいろ言い訳をして、文化なり習慣なりだと言っても通用しない。
本当に文化なら習慣なら「公式参拝」しなくだって、文化も習慣も変わりやしないでしょ?
まあ他言をはさんでしまい、理論になるのかと?ご批評ください。
これは メッセージ 16414 (momotohanatobudou さん)への返信です.
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