ドイツのラーべ日記について(1)
投稿者: natsumesouseki_hk 投稿日時: 2004/11/22 00:34 投稿番号: [15873 / 66577]
十二月十三日、この日、ついに日本軍が城門を打ち破り、入城、ラー べの日記には略奪、殺戮、強姦の描写が登場する。
『日本軍は十人からニ十人のグループで行進し、略奪を続けた。それは実際にこの目で見なかったら、とうてい信じられないような光景だった。彼らは窓と店のドアをぶち割り、手当たり次第に盗んだ。食糧が不足していたからだろう。
ドイツのパン屋、カフェ・キースリングもおそわれた。また、福昌飯店もこじ開けられた。中山路と太平路の店もほとんど全部。なかには、獲物を安全に持ち出すため、箱に入れて引きずったり、力車を押収したりする者もいた』
『近所の家から、十四歳から十五歳の娘が三人さらわれたといってきた』
『元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし五百人が連行された。機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると銃殺されたにちがいない。あんまりだ。恐ろしさに身がすくむ』
十二月十四日、ラーべは武装解除した兵士の虐殺をやめさせるよう、日本軍に申し入れている。翌十五日正午、日本軍特務機関長と国際委員会との間で話し合いがもたれ、次のような回答を引き出している。「武装解除した中国人兵士を我々は人道的立場に立って扱うつもりである。その件はわが軍にー任するよう希望する」。しかし・・・
十二月十五日
『残念ながら、午後の約束は果たせなかった。日本軍が、武器を投げ捨てて逃げこんできた元中国兵を連行しようとしたからだ。この兵士たちはニ度と武器を取ることはない。我々がそう請け合うと、ようやく解放された。ほっとして本部にもどると、恐ろしい知らせが待っていた。きっきの部隊が戻ってきて、今度は千三百人も捕まえたというのだ。スマイスとミルズと私の三人でなんとか助けようとしたが聞き入れられなかった。およそ百人の武装した日本兵に取り囲まれ、とうとう連れていかれてしまった。射殺されるにちがいない。(中略)この惨めな気持ちは耐えられない。人々が
獣のように追い立てられていくのを見るのは身を切られるようにつらい』
十二月十五日、ロイター通信記者のスミスが日本軍による処刑を目撃している。以下、スミスの講演から(本書に収録)。
『そこでわれわれが見たものは、広場で日本軍が中国人を縛り上げ、立たせている光景でした。順次、引きたてられ、銃殺されました。ひざまずいて、後頭部から銃弾を撃ちこまれるのです。このような処刑を百例ほど見たとき、指揮をとっていた日本人将校に気づかれ、すぐ立ち去るように命じられました。ほかの中国人がどうなったのかはわかりません』
ラーべの日記では、武装を解いた元兵士の虐殺の場面が随所に出てくる。実は中国軍には、軍服を脱ぎ捨て市民の中に入り込み、ゲリラ戦を展開する、いわゆる「便衣兵」の存在があり日本軍は悩まされてさえ。しかし、一般市民との区別は容易ではなく、南京ではこの統制のとれない便衣兵狩りがー般市民を多く巻き込み、大虐殺を生んだ、との見方がある。ともかく、日本兵は安全区まで入り込み、殺戮を繰り返したのである。
『日本軍は十人からニ十人のグループで行進し、略奪を続けた。それは実際にこの目で見なかったら、とうてい信じられないような光景だった。彼らは窓と店のドアをぶち割り、手当たり次第に盗んだ。食糧が不足していたからだろう。
ドイツのパン屋、カフェ・キースリングもおそわれた。また、福昌飯店もこじ開けられた。中山路と太平路の店もほとんど全部。なかには、獲物を安全に持ち出すため、箱に入れて引きずったり、力車を押収したりする者もいた』
『近所の家から、十四歳から十五歳の娘が三人さらわれたといってきた』
『元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし五百人が連行された。機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると銃殺されたにちがいない。あんまりだ。恐ろしさに身がすくむ』
十二月十四日、ラーべは武装解除した兵士の虐殺をやめさせるよう、日本軍に申し入れている。翌十五日正午、日本軍特務機関長と国際委員会との間で話し合いがもたれ、次のような回答を引き出している。「武装解除した中国人兵士を我々は人道的立場に立って扱うつもりである。その件はわが軍にー任するよう希望する」。しかし・・・
十二月十五日
『残念ながら、午後の約束は果たせなかった。日本軍が、武器を投げ捨てて逃げこんできた元中国兵を連行しようとしたからだ。この兵士たちはニ度と武器を取ることはない。我々がそう請け合うと、ようやく解放された。ほっとして本部にもどると、恐ろしい知らせが待っていた。きっきの部隊が戻ってきて、今度は千三百人も捕まえたというのだ。スマイスとミルズと私の三人でなんとか助けようとしたが聞き入れられなかった。およそ百人の武装した日本兵に取り囲まれ、とうとう連れていかれてしまった。射殺されるにちがいない。(中略)この惨めな気持ちは耐えられない。人々が
獣のように追い立てられていくのを見るのは身を切られるようにつらい』
十二月十五日、ロイター通信記者のスミスが日本軍による処刑を目撃している。以下、スミスの講演から(本書に収録)。
『そこでわれわれが見たものは、広場で日本軍が中国人を縛り上げ、立たせている光景でした。順次、引きたてられ、銃殺されました。ひざまずいて、後頭部から銃弾を撃ちこまれるのです。このような処刑を百例ほど見たとき、指揮をとっていた日本人将校に気づかれ、すぐ立ち去るように命じられました。ほかの中国人がどうなったのかはわかりません』
ラーべの日記では、武装を解いた元兵士の虐殺の場面が随所に出てくる。実は中国軍には、軍服を脱ぎ捨て市民の中に入り込み、ゲリラ戦を展開する、いわゆる「便衣兵」の存在があり日本軍は悩まされてさえ。しかし、一般市民との区別は容易ではなく、南京ではこの統制のとれない便衣兵狩りがー般市民を多く巻き込み、大虐殺を生んだ、との見方がある。ともかく、日本兵は安全区まで入り込み、殺戮を繰り返したのである。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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