>>>「大東亜共栄圏」の実態
投稿者: sakura_ume_yanagi 投稿日時: 2004/09/19 22:18 投稿番号: [11276 / 66577]
>だからこそ戦後、利害によって反日にもなり、親日にもなる。
私の先の投稿の真意を理解していただけていないようです。
利害によって、反日にも親日にもなる存在であるからこそ、信が置けないのです。
利害によって動く者に、真実と言う概念は存在しないでしょう。また、それを追求しようと言う衝動も持ち合わせないでしょう。
そこにあるのは、ただ損得勘定だけです。
色々と書籍をご紹介いただきましたが、販売目的の書籍は、まさしく売れてなんぼのものです。その性質上、真実の追求と言うよりは購買意欲をそそる“派手な宣伝”や、怪しい“新しい発見”に重きが置かれるものではないでしょうか?
購入者受け・読者受けのする内容に満ち満ちた、誰かの財布を膨らませるために用意された書籍と、
ことによると自分に危害が加えられるかもしれない、当時の殺気立った軍事裁判と言う状況の中でただ一人、何の利害関係もない日本の無罪を堂々と主張されたパル判事の仰ることと、どちらを信用するべきでしょうか?
あなたの仰る“このおっさん”であるところの、インド人、ラダ・ビノード・パール判事を、私は人として大変尊敬します。
>勝者が敗者を裁くというのがルールだ。
そんなルールはありません。
それは、戦勝国が敗戦国を法の名の下に裁く「報復裁判」ですね。
現在では日本を侵略国として確定させるために不当に行われたものだとして定説化しており、世界中の法律学者がその違法性を指摘しています。
はじめから日本が侵略戦争をしたということを前提として、日本側の主張は全て却下され、連合軍の筋書き通りに裁判を進行したものです。
事実の確認も、検証も行われていません。
そんないい加減な裁判の結果を持ってして、「だから日本クズなのだ。小日本なのだ」と言われても、納得できようはずがありません。
中国の方が皆口を極めて仰るように日本兵が極悪非道の集団であったなら、なぜ今現在に至るまで世界の各地に日本への感謝の念を表明する方たちが存在するのでしょうか。
以下 サイト http://www.h7.dion.ne.jp/~speed/india.htm
より引用
イギリス軍東南アジア総司令官マウントバッテン大将は、「かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘で軍服や軍靴さえもボロボロとなり、彼らを支えてるものは不屈の精神力のみであった。日本軍はインパールにおいて敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーが、いみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」と回顧録の中で述べております。
日本人はインパール(ビルマ最西端からインドでの戦争)作戦は悲劇の戦争と見て いるが、インド人は華々しい独立戦争と見ている。日本軍が全滅するまで戦い抜いた通称レッドヒルでは、地元住民が戦死した日本軍の将兵の骨を集め、ロッパチン村にレンガを積んで、卒塔婆(高さ約4?b)を建て、毎年、日本軍が玉砕した5月20日には、村を挙げて法要しています。
コヒマでは、過酷な戦況と物資不足、まともに戦える兵隊もほとんど居なくなるまで戦った日本軍31師団がいました。軍司令官の牟田口中将の「コヒマ絶対死守」との命令を無視し、31師団の佐藤師団長は部隊を撤退させた。しかし、その激戦地となったコヒマに住むナガ族は、そこに咲く可憐な花に「日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)」という名を付けてます。現在も、「この時に何故日本軍とともに戦わなかったのか」と今の若者が老人達に抗議したという新聞記事も掲載されるほど、インドのナガ族にとっては独立の為に戦った日本軍将兵の行動に感謝してるのです。ナガの青年はアジア学院(栃木県那須)に農業指導者を目指して毎年、留学に来てます。その青年ナガ族の長老から聞いた話として、「日本の兵隊は非常に勇敢で、規律も正しく、イギリスの軍隊を相手にしてよく戦った。残念ながら日本は負けたけれど、お陰で印度は独立出来た。」と言っているそうだ。
私の先の投稿の真意を理解していただけていないようです。
利害によって、反日にも親日にもなる存在であるからこそ、信が置けないのです。
利害によって動く者に、真実と言う概念は存在しないでしょう。また、それを追求しようと言う衝動も持ち合わせないでしょう。
そこにあるのは、ただ損得勘定だけです。
色々と書籍をご紹介いただきましたが、販売目的の書籍は、まさしく売れてなんぼのものです。その性質上、真実の追求と言うよりは購買意欲をそそる“派手な宣伝”や、怪しい“新しい発見”に重きが置かれるものではないでしょうか?
購入者受け・読者受けのする内容に満ち満ちた、誰かの財布を膨らませるために用意された書籍と、
ことによると自分に危害が加えられるかもしれない、当時の殺気立った軍事裁判と言う状況の中でただ一人、何の利害関係もない日本の無罪を堂々と主張されたパル判事の仰ることと、どちらを信用するべきでしょうか?
あなたの仰る“このおっさん”であるところの、インド人、ラダ・ビノード・パール判事を、私は人として大変尊敬します。
>勝者が敗者を裁くというのがルールだ。
そんなルールはありません。
それは、戦勝国が敗戦国を法の名の下に裁く「報復裁判」ですね。
現在では日本を侵略国として確定させるために不当に行われたものだとして定説化しており、世界中の法律学者がその違法性を指摘しています。
はじめから日本が侵略戦争をしたということを前提として、日本側の主張は全て却下され、連合軍の筋書き通りに裁判を進行したものです。
事実の確認も、検証も行われていません。
そんないい加減な裁判の結果を持ってして、「だから日本クズなのだ。小日本なのだ」と言われても、納得できようはずがありません。
中国の方が皆口を極めて仰るように日本兵が極悪非道の集団であったなら、なぜ今現在に至るまで世界の各地に日本への感謝の念を表明する方たちが存在するのでしょうか。
以下 サイト http://www.h7.dion.ne.jp/~speed/india.htm
より引用
イギリス軍東南アジア総司令官マウントバッテン大将は、「かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘で軍服や軍靴さえもボロボロとなり、彼らを支えてるものは不屈の精神力のみであった。日本軍はインパールにおいて敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーが、いみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」と回顧録の中で述べております。
日本人はインパール(ビルマ最西端からインドでの戦争)作戦は悲劇の戦争と見て いるが、インド人は華々しい独立戦争と見ている。日本軍が全滅するまで戦い抜いた通称レッドヒルでは、地元住民が戦死した日本軍の将兵の骨を集め、ロッパチン村にレンガを積んで、卒塔婆(高さ約4?b)を建て、毎年、日本軍が玉砕した5月20日には、村を挙げて法要しています。
コヒマでは、過酷な戦況と物資不足、まともに戦える兵隊もほとんど居なくなるまで戦った日本軍31師団がいました。軍司令官の牟田口中将の「コヒマ絶対死守」との命令を無視し、31師団の佐藤師団長は部隊を撤退させた。しかし、その激戦地となったコヒマに住むナガ族は、そこに咲く可憐な花に「日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)」という名を付けてます。現在も、「この時に何故日本軍とともに戦わなかったのか」と今の若者が老人達に抗議したという新聞記事も掲載されるほど、インドのナガ族にとっては独立の為に戦った日本軍将兵の行動に感謝してるのです。ナガの青年はアジア学院(栃木県那須)に農業指導者を目指して毎年、留学に来てます。その青年ナガ族の長老から聞いた話として、「日本の兵隊は非常に勇敢で、規律も正しく、イギリスの軍隊を相手にしてよく戦った。残念ながら日本は負けたけれど、お陰で印度は独立出来た。」と言っているそうだ。
これは メッセージ 11273 (wmbyq010 さん)への返信です.
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