>>芋づる式
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2005/02/13 12:40 投稿番号: [7591 / 16409]
「天敵」だって、「個」として見た時、彼の生い立ちやその後の迫害・抑圧などを勘案すると、「個の意見」としては、「心情的に首肯しうる」モノです。
ただ、それが政治的色彩を帯び始めると、途端、「天敵」になってしまう。
呂秀蓮や余政憲なんかに比べたら、まあ、「天敵」だって「赤子」のようなモノ、あのじいさん、純ですよ。
昨年の夏あたりから1900〜1940年代の上海の事情を調査しているのですが、そこで、出てくるのがアメリカの教会組織です。アメリカに対する租界地の件で、民間団体としてしゃしゃり出てきますね。
で、日本の教会というのは、社会主義思想と関係があり、軍国主義の下では、問題視される存在であったワケですね。
その流れが今も続いていて、教会は、政治的な色彩を強く持っている。そうした「避難所」に問題児が多く集っても不思議ではないのですが。。。
学生運動の活動家たちの隠れ家になってたりして。。。
そうした連中のつながりで、というのもあることはあるんですよ。。。
特に、日本や韓国の○○教会は政治色が強い。
そんな風に見ていくと、なるほど、人の集まる教会と、人が寄りつかない教会の原因というか、理由も、そんなことに、あるところもあったり、で。。。(表面上、隠していますが、ね)
古株の在日台湾人は、孤軍奮闘、相集えば不愉快の極み、帰宅後罵倒のオンパレード、なんてのもありますし、まあ、人脈系列は単純。そんな風に思っておりましたが、今は情況が違ってきているんでしょうか?
これは メッセージ 7589 (mita_yuji さん)への返信です.
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