内台連絡船 mita_yujiさん
投稿者: unhoo 投稿日時: 2004/11/07 22:41 投稿番号: [5791 / 16409]
>昭和11年に内地に来られた際の、基隆⇔神戸の船は、「大阪商船」ですか、それとも「近海郵船」?
答
あの時代基隆・神戸間を4艘(それとも6艘?)の1万トンの客船が運行していて、近海郵船と大阪商船とが各2艘または各3艘だったような記憶です。船名でおぼえているのは、近海郵船の富士丸、大阪商船の高砂丸、この2艘が新鋭船、それから、どちらの会社か記憶していないが、瑞穂丸という古い船がありました。そのほかに、少なくとももう1艘、ことによるともう3艘あったはずですが、船名は思い出せない。わしが乗った船の名は記憶していません。
基隆を出航して、台湾の山が見えなくなったころに、岩礁でできた無人島のそばを通る。その無人島が見えなくなると、前方にもう一つの岩礁島が見えてくる。年上の少年が、こんどの島の名はアジンコートと言うのだと教えてくれた。前の島の名は、彼は知らなかった。
その翌日は終日陸地も島も見えない。
そのまた翌日の晩に鹿児島あたりの灯台が見える。
そのまた翌日の午前に門司に入港。数時間停泊して、午後に出航し、瀬戸内海を低速度で夜航して、翌朝神戸入港。埠頭から三宮駅までは、ごく近かった。
以上の記述には、記憶ちがいがあるかもしれない。
1万トン連絡線の巡航速度は「17ノット半の高速」と船会社の宣伝文句。スピ−ドファンだから、こんな数字を覚えているのです。今計算してみたら、時速32.4km。
これは メッセージ 5770 (mita_yuji さん)への返信です.
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