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アジアの孤児--日本統治下の台湾

投稿者: natsumesouseki_hk 投稿日時: 2004/08/31 14:05 投稿番号: [4168 / 16409]
『アジアの孤児 -- -日本統治下の台湾』(新人物往来社刊)のことである。呉濁流氏は一九○○ 年、日本帝国主義下の台湾に生まれ、「公学校」(小学校ではない)、「国語学校」(後に「台北師範」と改称、ここでの国語とはむろん日本語を指す)を経て、「公学校訓導」(教諭ではない)を二○年勤め、その後新聞記者生活のかたわら作家活動にはいり、現在は季刊雑誌『台湾文芸』を主宰して旺盛な活動を続けている人物である。その経歴からうかがわれるように、彼は日本統治下の台湾に育ち、数多くの台湾民衆とともに苦渋に満ちた人生を生きてきた。一例をあげれば、一九四○年、彼はそれまでの二○年の教員生活に別れを告げることになるが、これは新埔(彼の故郷)で開かれた郡主催の運動会のとき、郡視学をひやかしたために公衆の面前でなぐられたことがきっかけであった。「内台融和」「一視同仁」のスローガンとはうらはらに、現実には「本島人」への露骨な差別が行われており、ふだんから心の中に鬱積していた不満、憤りが一挙に爆発した。彼は郡視学の謝罪を要求したが容れられず、結局これに抗議して教員を辞任した。反骨教師が郡視学に抗議して辞任した、というのはごく小さな出来事にすぎず、あえてとりあげるには及ばないエピソードかもしれない。しかし、この郡視学が日本人であり、旧植民地での日本人は多かれ少なかれこのような態度で民衆に接したことを考えれば、このエピソードはかなり普遍性をもつであろう。ここには当時の帝国主義日本対植民地台湾の関係が、直接的に反映しているのである。それだけでなく、こうした構造は戦後の日台関係あるいは日本と東南アジアとの関係においても、再生産されている事実に注目しなければならない。私はいま、数年前、バンコクのナイトクラブで日本人商社員がホステスによって射殺され、同じころシンガポールで、ある日本人主婦が殺された事件を想起している。むろん戦前の日本植民地の民衆と戦後の商社員が全く何じだというのではない。

私は文学には不案内であり、この作品のできばえについて論ずることはできないが、日本の台湾統治がどのようなものであったのか、そのなかで台湾の民衆は、知識人はどのように生きてきたのかについては痛いほどよくわかったように思う。いや「ノド元過ぎれば」といわれるくらいで、自分で経験した痛みでさえ忘れてしまうのが人間であるとすれば、他人の、多民族の苦痛なぞ、とうてい理解不可能だといったほうが正しいのかもしれない。「日本の台湾統治は、植民地支配のもっとも成功した例である」といった類の自己弁護はかなり広く行なわれている。私のような戦後派は、ややもすればこの種の謬論を反駁できず、「ソンナモンカナァ」と無批判に受けとりかねない弱さをもっていたが、「この作品を読めば誰でも「成功した植民地支配」なるものが形容矛盾にすぎないこと、コトバの遊戯にすぎないことに気づくであろう。かつて私は台湾人から「蒋介石よりは日本統治時代のほうがよかった」というのを聞いて、日本の統治はそこるで台湾人を変えてしまったのかと驚いたものだが、この作品で「皇民ボーイ」「皇民文士」を知るに及んで、ようやく彼の発言の背景を理解できたように思う。「二〇年も前から皇民化につとめ、和服と味噌汁の生活をつづけ、…… 自分が任官できない理由が皇民化のふそくにあると思いますますそれに精を出し、台湾人に対しては思い切って尊大であり、日本人に対しては思い切って卑屈」である「哀れな皇民派」の悲劇は決して「皇民派」だけの悲劇ではない。日中戦争が拡大するなかで台湾人は「帝国二等臣民」として同胞の殺戮にかり立てられていき、彼らは同胞からさえ敵視・疎外されることになる。
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