>辜振甫氏90年の歴史
投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2004/08/10 19:30 投稿番号: [3771 / 16409]
×中国大財閥
○台湾新興財閥
1895年、辜顕栄が水返脚(現在の汐止)で日本軍に遭遇してからの、百年来の辜一族の「生きざま」は、未だ「現在進行形」で「歴史」になっていないと思います。時期尚早。ましてや、辜家がPROMOTEするのであれば、PR映画そのものになってしまう可能性極めて大です。
1.「御用紳士」第一号(昭和12年貴族院議員)、「辜狗」、「辜顕栄比顔智(辜顕栄がガンジーなら)、破尿壺比玉器(こわれ尿瓶は翡翠の壺)」・・・日本時代の台湾人が(やっかみもあることは否定できないが)このように言っていたことを、どのように扱うのか。
2.このような「評価」は近年にいたるまで影響を及ぼしている。90年代にシンガポールで中台トップ会談が開かれたとき、「本土派」の誰か(名前はす失念)が「父親が日本に台湾を売り、息子が中国に台湾を売る」という趣旨の発言をし、辜振甫さんが不快感を露わにした・・・というようなこともあった。
3.勿論、逆の見方もある。王育徳先生は辜顕栄の「生き方」に一定の理解を示していた。また、台湾中部の竹山?では、「日本軍が来る前に、辜顕栄が来て『無駄な抵抗はやめよ』と言った。その為、村に犠牲者が出なかった。我が村人は辜顕栄に感謝しなければならない」という言い伝えが残っていた(1980年代)。
4.それにしても、百万元というのは余りにも少ない。一桁違うのでは。。。
5.電通と台湾の関係は、1895年にまでさかのぼる。電通の創始者、光永星郎は北白川宮と一緒に台湾に来た従軍記者(要確認)。私が所蔵している『辜顕栄翁葬儀』(16ミリフィルム全6巻、昭和12〜13年)、撮影を日本電報通信社が請け負ったのも、その関係と思われる。
6.終戦直後の辜振甫さんも関与した「台湾独立計画事件」も今一つ明らかになっていないと思われる。当時の日本人関係者がまだ存命で、先月、台湾の学者が証言を得たくて訪問したが、「黙して語らず」だったそうです。
****
いずれにしても、むつかしい問題ですねえ〜。
○台湾新興財閥
1895年、辜顕栄が水返脚(現在の汐止)で日本軍に遭遇してからの、百年来の辜一族の「生きざま」は、未だ「現在進行形」で「歴史」になっていないと思います。時期尚早。ましてや、辜家がPROMOTEするのであれば、PR映画そのものになってしまう可能性極めて大です。
1.「御用紳士」第一号(昭和12年貴族院議員)、「辜狗」、「辜顕栄比顔智(辜顕栄がガンジーなら)、破尿壺比玉器(こわれ尿瓶は翡翠の壺)」・・・日本時代の台湾人が(やっかみもあることは否定できないが)このように言っていたことを、どのように扱うのか。
2.このような「評価」は近年にいたるまで影響を及ぼしている。90年代にシンガポールで中台トップ会談が開かれたとき、「本土派」の誰か(名前はす失念)が「父親が日本に台湾を売り、息子が中国に台湾を売る」という趣旨の発言をし、辜振甫さんが不快感を露わにした・・・というようなこともあった。
3.勿論、逆の見方もある。王育徳先生は辜顕栄の「生き方」に一定の理解を示していた。また、台湾中部の竹山?では、「日本軍が来る前に、辜顕栄が来て『無駄な抵抗はやめよ』と言った。その為、村に犠牲者が出なかった。我が村人は辜顕栄に感謝しなければならない」という言い伝えが残っていた(1980年代)。
4.それにしても、百万元というのは余りにも少ない。一桁違うのでは。。。
5.電通と台湾の関係は、1895年にまでさかのぼる。電通の創始者、光永星郎は北白川宮と一緒に台湾に来た従軍記者(要確認)。私が所蔵している『辜顕栄翁葬儀』(16ミリフィルム全6巻、昭和12〜13年)、撮影を日本電報通信社が請け負ったのも、その関係と思われる。
6.終戦直後の辜振甫さんも関与した「台湾独立計画事件」も今一つ明らかになっていないと思われる。当時の日本人関係者がまだ存命で、先月、台湾の学者が証言を得たくて訪問したが、「黙して語らず」だったそうです。
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いずれにしても、むつかしい問題ですねえ〜。
これは メッセージ 3768 (aki_fumika さん)への返信です.
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