北京語を論ず(二)
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/07/08 00:58 投稿番号: [14687 / 16409]
漢族王朝の明代には、北京、南京はペキン、ナンキンと読んでいた。その証拠には、あの時代に明国へ布教に行ったヨーロッパ人のイエズス会士は、祖国への報告書にPeking、Nankingと書いている(この綴りはヨーロッパ各国で、今から20年前まで用いられていた)。ところが満州族の大酋長が清朝の皇帝になると、彼らはカ行の発音が苦手なので、ペーチン、ナンチンと訛った。宮廷内の廷臣(奴才と自称させられていた)どもは、その誤りを直してやる勇気がなくて、反って訛った発音を模倣した。かくて宮廷内ではペーチン、ナンチンという訛りが横行して、ついにそれが宮廷内の通用語となった。
ペキン、ナンキン以外にも多くのカ行の漢字が訛ってチャ行になり、それが宮廷内の標準語になり、ついで北京政府の通用語(北京官話)になり、やがて北京市民の日常用語になるまでに、おそらくは50年経つか経たなかったであろう。
もしあの時代に、奴才どもが正しい発音を教えてやれば、満州族の皇帝、皇族は喜んで学習したはずである。満州族の発祥地は朝鮮との国境にある長白山脈である。外省人が台湾へ乗り込んできたとき、台湾原住民のことを山地同胞、あるいは省略して山胞と呼んだが、その流儀で行けば、清朝の皇帝、皇族は謂わば長白山胞である。長白山胞よりも600年前に宋王朝を撃破して元王朝を築いたモンゴル族は、宋の領土に入る前にすでにインド、アラビア、東ヨーロッパの文化を見ていたから、漢族の文化を見てもさほど感動しなかったが、長白山胞にとっては漢族の文化が地上唯一の文明であった。それゆえに漢族の文化を学習するに熱心であった。しかるに奴才どもの臆病がついに不自然な発音体系を持つた奴才語、別名北京語を産んだ。
その奴才語をひっさげて台湾に乗り込んできた中国人、自称外省人が、市場へ行ってニワトリを買おうとして、チーがないか、チーを買おうと言っていたときには、台湾人はおかしさをこらえていたものである。鶏は正統の漢族発音でも、台湾語でも、日本の音読でも「けー」である。
ペキン、ナンキン以外にも多くのカ行の漢字が訛ってチャ行になり、それが宮廷内の標準語になり、ついで北京政府の通用語(北京官話)になり、やがて北京市民の日常用語になるまでに、おそらくは50年経つか経たなかったであろう。
もしあの時代に、奴才どもが正しい発音を教えてやれば、満州族の皇帝、皇族は喜んで学習したはずである。満州族の発祥地は朝鮮との国境にある長白山脈である。外省人が台湾へ乗り込んできたとき、台湾原住民のことを山地同胞、あるいは省略して山胞と呼んだが、その流儀で行けば、清朝の皇帝、皇族は謂わば長白山胞である。長白山胞よりも600年前に宋王朝を撃破して元王朝を築いたモンゴル族は、宋の領土に入る前にすでにインド、アラビア、東ヨーロッパの文化を見ていたから、漢族の文化を見てもさほど感動しなかったが、長白山胞にとっては漢族の文化が地上唯一の文明であった。それゆえに漢族の文化を学習するに熱心であった。しかるに奴才どもの臆病がついに不自然な発音体系を持つた奴才語、別名北京語を産んだ。
その奴才語をひっさげて台湾に乗り込んできた中国人、自称外省人が、市場へ行ってニワトリを買おうとして、チーがないか、チーを買おうと言っていたときには、台湾人はおかしさをこらえていたものである。鶏は正統の漢族発音でも、台湾語でも、日本の音読でも「けー」である。
これは メッセージ 14652 (unhoo さん)への返信です.
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