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Re: 毛沢東

投稿者: jingdezhen_de_ciqi 投稿日時: 2008/03/21 23:19 投稿番号: [534 / 30899]
「マオ   誰も知らなかった毛沢東   (下)」   張戎(ユン・チアン)著   講談社
48章−2   文化大革命(その2)       1966−67

(金銀財宝のほか、紅衛兵による)家捜しによって毛沢東政権が被害者から取り上げたものは、居住スペースだ。紅衛兵に襲撃された一家は自分たちの住んでいた家の一部屋か二部屋に押し込められ、残りの部屋には近所の人が入居させられた。当然ながら、耐えがたく険悪な人間関係が生じた。
  家捜しを受けた家族の中には、農村へ追放されるケースもあった。北京では1966年8月末から1カ月足らずの間に10万近い人々が農村へ追放された。ある人は、北京駅の広い待合室が親と一緒に追放先へ贈られる子供たちでいっぱいになっている光景を目撃した。紅衛兵は子供たちをひざまづかせ、心中のバックルを振り下ろした。なかには餞別代りに熱湯を浴びせる紅衛兵もいた。

  紅衛兵に踏み込まれた際に「文化」を所蔵しているのが見つかって拷問されるのを恐れて、人々は蔵書を焼き捨て、美術品を破壊した。毛沢東は中国の家庭から文化を一掃することに成功した。
歴史建造物も破壊を免れえなくなった。北京では6843箇所の歴史建造物のうち、4922箇所があとかたもなく破壊された。山東省にある孔子廟へは、北京から紅衛兵が派遣されることになった。紅衛兵は中国を代表する賢人を「毛沢東思想の不倶戴天の敵」と叫んだ。わずかに認められた絵画や歌はすべて政治宣伝の道具で、毛沢東を賛美するものばかりだった。中国は文化の砂漠と化した。

1966年9月半ば、中国全土を恐怖の力で押さえ込んだ毛沢東は、いよいよ本命の標的である党幹部に矛先を転じた。本当の標的は、毛沢東の極端な政策に抵抗を示した旧来の役人層(走資派)だった。・・・何百万という党幹部は「五・七幹校」という気休めのような名前のついた事実上の強制労働所に送られた。いずれも毛沢東の新体制の下で不要になった人々だ。
人々は「走資派」を攻撃する暴力的な批闘会に借り出された。公衆の面前で行われる残虐行為は、日常生活の避けがたい一部となった。どの機関にも監獄に相当する場所が設けられ、犠牲者はときにそこで死ぬまで拷問された。
  毛沢東はついに劉少奇打倒に動いた。劉少奇夫妻は完全な自宅軟禁状態に置かれた。(まず)30万人が動員され、(劉の妻)王光美に屈辱と迫害を加えた。・・・残虐な批闘会のあと、劉少奇夫妻は別々の場所で事実上の独房監禁状態に置かれた。

1967年3月になり、学生たちに学校へ戻るよう命令が出た。しかし、学校へ戻っても何もすることがなかった。教科書も教師たちも、何もかも断罪され追放されてしまった。ほとんどの若者にとって、10年後に毛沢東が死ぬまで、まともな学校教育というものは存在しなかった。
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