Re: 毛沢東
投稿者: jingdezhen_de_ciqi 投稿日時: 2008/03/21 23:18 投稿番号: [533 / 30899]
「マオ
誰も知らなかった毛沢東
(下)」
張戎(ユン・チアン)著
講談社
48章−1 文革という名の大粛清(1) 1966−67
6月、毛沢東は弾圧を始めた。メッセージが耳障りな糾弾口調でラジオ放送され、街中のスピーカから大音量で流され、興奮と恐懼の入り混じった空気を作り出した。
精華大学付属中学の一部学生が 、毛沢東を保衛するという意味で「紅衛兵」の署名を入れた壁新聞を掲示した。「人情などかなぐり捨てろ!」「粗暴になれ!」といった語句が踊っていた。毛沢東が播いておいた憎しみの種が、いよいよ収穫のときを迎えていたのだ。毛沢東は若者たちを野放しにして、やりたい放題の残虐行為を許した。
6月18日、北京大学で数十人の教師が群集の前に引き出され、顔を黒く塗られ、三角帽をかぶせられた。群衆の前にひざまづかされ、殴られ、女性は性的汚辱を受けた。同じようなことが中国全土で起こり、自殺者が相次いだ。
毛沢東が暴力を奨励していると聞かされた紅衛兵たちは、たちまち残虐行為に走った。8月5日、北京の女子高(毛沢東の二人の娘も通った)で、初めて拷問死が起こったとされている。女性校長は女学生たちに蹴られ、踏みつけられ、熱湯を浴びせられ、重いレンガを運ぶ作業を命じられた。女学生たちは校長をベルトで鞭打ち、釘の出た木の棒で打ち据えた。校長はまもなく衰弱し、死亡した。
北京の紅衛兵が中国全土へ派遣されて、犠牲者を鞭打つ方法、地面に落ちた自分の血をなめさせる方法などを指導した。地方の若者は北京に上り、首都で毛沢東が途方もない破壊を許した現実を学ぶよう奨励された。1100万人の若者が北京に上った。毛沢東は天安門広場に姿を現し、熱狂的紅衛兵の大集団を接見した。残虐行為が行われなかった学校は、全国で一校もなかった。
学校を恐怖の嵐に巻き込んだあと、毛沢東は紅衛兵を社会に向けて解き放った。標的とされたのは文化の担い手と文化そのものだった。長い髪、スカート、少しでもかかとの高い靴で街に出れば、たちまち目をつけられ、はさみを振りまわす紅衛兵の餌食となった。これ以降、底の平らな靴、軍服のようなだぶだぶの服しか着られなくなった。
紅衛兵は市民の家に乱入して書物を焼き、書画を裂き、楽器を踏みつぶし、文化に関するものを片っ端から破壊した。「人民日報」はこれを「大変すばらしい」と賞賛した。襲撃を受けた人々の多くは、自宅で残虐行為を受けて、死亡した。犠牲者たちの絶叫・・・。北京だけで3万3695軒が紅衛兵の家捜し(例外なく暴力を伴った)を受けた。
紅衛兵についでに強盗をさせたのも、毛沢東の発想だった。金・銀・宝石・現金・骨董・書画。毛沢東は何千冊という古書を自分のものにした。これらは毛沢東のだだっ広い居間の書棚を飾り、毛沢東が諸外国の指導者を迎える際に写真の背景となった。
48章−1 文革という名の大粛清(1) 1966−67
6月、毛沢東は弾圧を始めた。メッセージが耳障りな糾弾口調でラジオ放送され、街中のスピーカから大音量で流され、興奮と恐懼の入り混じった空気を作り出した。
精華大学付属中学の一部学生が 、毛沢東を保衛するという意味で「紅衛兵」の署名を入れた壁新聞を掲示した。「人情などかなぐり捨てろ!」「粗暴になれ!」といった語句が踊っていた。毛沢東が播いておいた憎しみの種が、いよいよ収穫のときを迎えていたのだ。毛沢東は若者たちを野放しにして、やりたい放題の残虐行為を許した。
6月18日、北京大学で数十人の教師が群集の前に引き出され、顔を黒く塗られ、三角帽をかぶせられた。群衆の前にひざまづかされ、殴られ、女性は性的汚辱を受けた。同じようなことが中国全土で起こり、自殺者が相次いだ。
毛沢東が暴力を奨励していると聞かされた紅衛兵たちは、たちまち残虐行為に走った。8月5日、北京の女子高(毛沢東の二人の娘も通った)で、初めて拷問死が起こったとされている。女性校長は女学生たちに蹴られ、踏みつけられ、熱湯を浴びせられ、重いレンガを運ぶ作業を命じられた。女学生たちは校長をベルトで鞭打ち、釘の出た木の棒で打ち据えた。校長はまもなく衰弱し、死亡した。
北京の紅衛兵が中国全土へ派遣されて、犠牲者を鞭打つ方法、地面に落ちた自分の血をなめさせる方法などを指導した。地方の若者は北京に上り、首都で毛沢東が途方もない破壊を許した現実を学ぶよう奨励された。1100万人の若者が北京に上った。毛沢東は天安門広場に姿を現し、熱狂的紅衛兵の大集団を接見した。残虐行為が行われなかった学校は、全国で一校もなかった。
学校を恐怖の嵐に巻き込んだあと、毛沢東は紅衛兵を社会に向けて解き放った。標的とされたのは文化の担い手と文化そのものだった。長い髪、スカート、少しでもかかとの高い靴で街に出れば、たちまち目をつけられ、はさみを振りまわす紅衛兵の餌食となった。これ以降、底の平らな靴、軍服のようなだぶだぶの服しか着られなくなった。
紅衛兵は市民の家に乱入して書物を焼き、書画を裂き、楽器を踏みつぶし、文化に関するものを片っ端から破壊した。「人民日報」はこれを「大変すばらしい」と賞賛した。襲撃を受けた人々の多くは、自宅で残虐行為を受けて、死亡した。犠牲者たちの絶叫・・・。北京だけで3万3695軒が紅衛兵の家捜し(例外なく暴力を伴った)を受けた。
紅衛兵についでに強盗をさせたのも、毛沢東の発想だった。金・銀・宝石・現金・骨董・書画。毛沢東は何千冊という古書を自分のものにした。これらは毛沢東のだだっ広い居間の書棚を飾り、毛沢東が諸外国の指導者を迎える際に写真の背景となった。
これは メッセージ 532 (jingdezhen_de_ciqi さん)への返信です.
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