中国でなく支那(シナ)に改称すべき
投稿者: avatar4649 投稿日時: 2008/05/26 23:14 投稿番号: [26174 / 30899]
シナは China と同じ由来で、世界も、発音はそれぞれの発音ですが、それを使っています。
>「支那」呼称は禁止となるが、その理由は明らかにされていない。
というように、差別用語というのは禁止するための口実であり、真相は、
>「シナ」(この場合、おおむねモンゴルやチベットはふくまれない)という地域概念はあった
>モンゴル、チベット、東トルキスタン等もその領土として主張したため}}}
>諸民族が古くから一体の「中国」を形成してきた、という歴史認識を採用したため
チベットなどを含めて「中国」という概念を日本人にも強制するためだと思います。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3
支那
支那(しな)は、中国または「中国の一部」をさして用いられる、王朝や政権の変遷を越えた、国号としても使用可能な、固有名詞の通時的な呼称。
本来、差別用語ではないが、差別語的に使用された時代があったため、差別語とみなされる場合もある。
中国では、世界の中に中国を客観的に位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く永く使われていた。
また清の末期(19世紀末 - 1911年)の中で、漢人共和主義革命家たちが、自分たちの樹立する共和国の国号や、自分たちの国家に対する王朝や政権の変遷をこえた通時的な呼称を模索した際に、自称のひとつとして用いられた一時期がある。
辛亥革命によって成立した共和国が「中華民国」を国号として採用したのに対し、日本政府は「『中華』には自尊自大の気がある」としてこの国号を嫌い、中国政府と締結する条約の文面など、正式呼称を用いることが不可欠な場合を除き、この共和国に対する呼称を「支那共和国」と称することを定めた。
1. 漢民族とその土地、文化等に用いられる王朝や政権の変遷をこえた国号としても使用可能な通時的な呼称。
2. 種族や民族を問わず、中華民国という国家と、その国民に関連する事象に用いられる呼称。
2.の「中華民国」という国家に対する呼称としては、すでに第二次大戦中、汪精衛政権への配慮から「支那共和国」にかえて「中華民国」を用いるべきとされ、さらに1946年、あらためて外務省より「中華民国」を用いるよう通達がだされた。
中国では、辛亥革命以前の共和主義運動のなかでは、漢人民族主義や、清朝の領土のうち漢人の土地の部分のみを領土とする国家を追求する主張もみられたが、1911年以降、実際に共和政権が樹立されるにあたっては、モンゴル、チベット、東トルキスタン、満州などを含む、清朝の遺領をそのまま枠組みとする領域が領土として主張され、また「中国」という多民族国家がこの領域を単位として古来から一貫して存在してきたという歴史認識が採用されることになった。
支那という言葉は、インドの仏教が中国に伝来するときに、経典の中にある中国を表す梵語「チーナ・スターナ」を当時の中国人の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによる。
チーナとは中原初の統一王朝秦(拼音: Qín, 梵語: Thin・Chin, ギリシャ語・ラテン語:Sinae)に由来するとされるが、諸説ある。
日本においては、江戸時代初期より、世界の中に中国を位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く使われていた。これは中国における古来の「支那」用法と全く差がない。江戸後期には「支那」と同じく梵語から取ったChinaなどの訳語としても定着した。
清朝を打倒して成立した中華民国は、「シナ」だけでなく、その周辺のモンゴル、チベット、東トルキスタン等もその領土として主張したため、厳密にいえば、支那(シナ)と中国は、領域も住人も、その範囲には著しい相違がある。中国では、シナとその周辺の諸地域、諸民族が古くから一体の「中国」を形成してきた、という歴史認識を採用したため、シナの部分だけを指す、王朝や政権の変遷を越えた、通時的な国号を別途にもうけることはしなかった。
故に日本の東洋史学界では、第二次大戦以後、中華民国に対して理屈は抜きにして「支那」という呼称を使うべきでないという外務省通達がでたのちも、ながらく「支那」(シナ)という呼称が使用されつづけている人もいた。
>「支那」呼称は禁止となるが、その理由は明らかにされていない。
というように、差別用語というのは禁止するための口実であり、真相は、
>「シナ」(この場合、おおむねモンゴルやチベットはふくまれない)という地域概念はあった
>モンゴル、チベット、東トルキスタン等もその領土として主張したため}}}
>諸民族が古くから一体の「中国」を形成してきた、という歴史認識を採用したため
チベットなどを含めて「中国」という概念を日本人にも強制するためだと思います。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3
支那
支那(しな)は、中国または「中国の一部」をさして用いられる、王朝や政権の変遷を越えた、国号としても使用可能な、固有名詞の通時的な呼称。
本来、差別用語ではないが、差別語的に使用された時代があったため、差別語とみなされる場合もある。
中国では、世界の中に中国を客観的に位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く永く使われていた。
また清の末期(19世紀末 - 1911年)の中で、漢人共和主義革命家たちが、自分たちの樹立する共和国の国号や、自分たちの国家に対する王朝や政権の変遷をこえた通時的な呼称を模索した際に、自称のひとつとして用いられた一時期がある。
辛亥革命によって成立した共和国が「中華民国」を国号として採用したのに対し、日本政府は「『中華』には自尊自大の気がある」としてこの国号を嫌い、中国政府と締結する条約の文面など、正式呼称を用いることが不可欠な場合を除き、この共和国に対する呼称を「支那共和国」と称することを定めた。
1. 漢民族とその土地、文化等に用いられる王朝や政権の変遷をこえた国号としても使用可能な通時的な呼称。
2. 種族や民族を問わず、中華民国という国家と、その国民に関連する事象に用いられる呼称。
2.の「中華民国」という国家に対する呼称としては、すでに第二次大戦中、汪精衛政権への配慮から「支那共和国」にかえて「中華民国」を用いるべきとされ、さらに1946年、あらためて外務省より「中華民国」を用いるよう通達がだされた。
中国では、辛亥革命以前の共和主義運動のなかでは、漢人民族主義や、清朝の領土のうち漢人の土地の部分のみを領土とする国家を追求する主張もみられたが、1911年以降、実際に共和政権が樹立されるにあたっては、モンゴル、チベット、東トルキスタン、満州などを含む、清朝の遺領をそのまま枠組みとする領域が領土として主張され、また「中国」という多民族国家がこの領域を単位として古来から一貫して存在してきたという歴史認識が採用されることになった。
支那という言葉は、インドの仏教が中国に伝来するときに、経典の中にある中国を表す梵語「チーナ・スターナ」を当時の中国人の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによる。
チーナとは中原初の統一王朝秦(拼音: Qín, 梵語: Thin・Chin, ギリシャ語・ラテン語:Sinae)に由来するとされるが、諸説ある。
日本においては、江戸時代初期より、世界の中に中国を位置づける場合に「支那」の呼称が学者の間で広く使われていた。これは中国における古来の「支那」用法と全く差がない。江戸後期には「支那」と同じく梵語から取ったChinaなどの訳語としても定着した。
清朝を打倒して成立した中華民国は、「シナ」だけでなく、その周辺のモンゴル、チベット、東トルキスタン等もその領土として主張したため、厳密にいえば、支那(シナ)と中国は、領域も住人も、その範囲には著しい相違がある。中国では、シナとその周辺の諸地域、諸民族が古くから一体の「中国」を形成してきた、という歴史認識を採用したため、シナの部分だけを指す、王朝や政権の変遷を越えた、通時的な国号を別途にもうけることはしなかった。
故に日本の東洋史学界では、第二次大戦以後、中華民国に対して理屈は抜きにして「支那」という呼称を使うべきでないという外務省通達がでたのちも、ながらく「支那」(シナ)という呼称が使用されつづけている人もいた。
これは メッセージ 26111 (avatar4649 さん)への返信です.
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