Re: チベット reviewその五
投稿者: ee41038 投稿日時: 2008/04/20 14:23 投稿番号: [13384 / 30899]
ダライラマはただの坊さんをやっていくに多少心残りがあるということは否定できないでしょう。なにせよ、神さまのように祭られる日々は忘れがたいでしょう。しかし、ダライラマは頭が悪くない。彼はわかっている、今の世界はもう昔みたいに閉ざされたものではなくなったということを。昔のような統治の仕方だと今のチベットでは通用しない。
だから彼は坊さんをやることにした。そして中国の国民に対して私はチベットの独立を支持しない。ただ民族の自治がほしいだけだって言った。
それは確かに仏教の僧侶としてあるべき覚悟だ。
そういう意味で彼はチベット統治の権力を放棄し、仏教の平和的精神に沿って純粋な宗教的リーダーになることを選んだ。その観点から、彼はそこそこいい坊さんだと私は個人的に思う。
しかし、問題の肝心な部分は彼がチベット独立をやめたことではなく、キーワードは“ダライ集団”の“集団”という二文字にある。
“ダライラマ”と“ダライ集団”は論理的に言えば同じものだけれども、実質的にこれらの言葉に違いがある。それは中国政府がチベット事件を報道する際に、“ダライ集団”と“精神的指導者”を頻繁に使う理由でもある。中国政府は“ダライラマ”と“ダライ集団”の違いがはっきりわかっている。それ上、中国政府はわかっている。チベット問題の根源はダライラマにはなく、ダライラマの周りを取り囲む真の分裂主義者たちにあるということを。
ダライラマが亡命するあのときのことを振り返れば、ダライ集団が多少見えてくるだろう。この人たちこそダライの亡命を計画し、ダライが帰国できないという状況を作り出した張本人であることが説明できるでしょう。ダライラマは良い坊さんで平和主義者なのかもしれない。しかし、その周囲の人たちは仏教の精神に悟っているとは限らない。ダライラマにはその周囲の人を完全にコントロールすることができなくて、そのせいで、かえって相手に政治の駆け引きの傀儡に使われるかもしれない。
これは メッセージ 13382 (ee41038 さん)への返信です.
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