Re:donde voy
投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2007/07/25 00:35 投稿番号: [21475 / 21882]
>やはり自然法的価値観に立つんかい?
と。
それって、キリスト教的価値観じゃないのかい? と。<
自然法的価値観は、どこまでキリスト教的価値観なのか?
これも確かに問題の一つであろうことに、異論がありません。
素朴に言うと(どこまで学術的、客観的な叙述か、自信ないが)、大多数の人間の合意と判断による、善と悪に対する識別かなと思う。
勝ったから善とは限らない、と同じように
負けても悪とは限らない。
勝負を超え、道徳的にどちらが善なのか、どちらが悪なのか、勝った側負けた側、さらに第三者も含めて、どちらが善なのか、悪なのかという問題への対処。
この意味でいうと、決して勝った側と負けた側の議論ではない。
全ての人間にとって、善か悪かの問題です。
紫式部の父親為時は【暗学寒夜、紅涙染襟;除目朝後、蒼天在眼】の漢詩を書いたことがある。
彼にして一生懸命頑張ったつもりだが、採用公布に漏れて、地方官でさえ意の如くにならなかった。悔し紛れにこの詩句を即妙に詠じた。この詩句のどこが僕の心を打ったというと、【蒼天在眼】です。
こんな不公平な結末を、青い空の神様が見詰めてくれているよ、私のこの不遇な境遇を。天の神様が必ず私のために公平な結果を与えてくださると、彼は信じていた。
為時が心の中で信じて疑わない【蒼天】が、正義の味方であろうこと、容易に見て取れる。
つまりだ、あなたにはあなたの正義があり、私には私の正義がある、と言うのではなくて、我々は同じ正義があると信じるからこそ、公平に生きられ、社会公正を求めるわけだ。社会もこのために法律を作り、不公平から我々を護ってもらえるのだ。
どんな国家でも地球に生存する以上、この鉄則から逃れない。
正義とはこういうことではないか、と思う。
私の知りうる限りでは古代から今日にいたるまで、この問題を回避した哲学者がいない。回答の角度が違うにせよ、必ずこの問題に真剣に取り込んでいた。孔子にせよ、キリストにせよ、仏陀にせよ。
人類は同じ方向に行っているか、これはどちらかといえば別問題です。
日本人が祖国である日本のために弁護したいのは、すこしも間違っていないし、少しも不当ではない。寧ろ理解、尊重に値する行為だと、私は思う。
しかし日本と他の多数国の人とは、違う正義の定義を持っているというなら、それはとんでもない間違いだと、私は思う。
去年アメリカ議会が東京裁判有効性の決議をしたが、日本政府は異議を唱えたか?それが今回の慰安婦問題決議とは、まるきり違う性質の決議だった。なぜならあの決議には法律的拘束が伴うからだ。
日本自身が悪だなんていう人は一人もいません。日本はかつての戦争でどんな悪行をしたかが問題です。中国に負けては居ませんが、アメリカに負けたという、素朴な言い訳が通用すると信じる奴が完全可笑しい。
現代から遡って15世紀以前の日本人を【国民の歴史】と書く奴は、歴史のいろはも知らない。【国民】の概念すら理解していないと断言してよい。それは正に日本人を侮辱する浅薄な作法。
僕はいくらか観念論に走りがちなタイプですが、しかし正義論は本来観念論であると、言いたい。
何回か言いましたが、僕はどちらかといえば、ディアスポラー式考え方をします。極端に国家主義、大国主義が嫌い。大中華主義も嫌い。当然独裁体制が骨の髄まで嫌い。
逃れないけれど、いつもぎりぎりの線を描いて歩いています。
それとあなたとakiさんにお願いした文章は、国際0000研究集会で発表して、論文要旨の英訳もありました。0の写真も会議録(論集)にありました。多分また幾つかは雑誌に0表するでしょう。(絶対内緒だよ)
ここで0めて篤く篤く00マを下げます。お礼を言うチャンスがなくて困っていました。これで・・・
君なら無理に返事しなくても分かるから、気にしないで。気軽に進行したり、激論したりして。後、かはらさんの歌を聴きましたよ。ありがとうございます。
それって、キリスト教的価値観じゃないのかい? と。<
自然法的価値観は、どこまでキリスト教的価値観なのか?
これも確かに問題の一つであろうことに、異論がありません。
素朴に言うと(どこまで学術的、客観的な叙述か、自信ないが)、大多数の人間の合意と判断による、善と悪に対する識別かなと思う。
勝ったから善とは限らない、と同じように
負けても悪とは限らない。
勝負を超え、道徳的にどちらが善なのか、どちらが悪なのか、勝った側負けた側、さらに第三者も含めて、どちらが善なのか、悪なのかという問題への対処。
この意味でいうと、決して勝った側と負けた側の議論ではない。
全ての人間にとって、善か悪かの問題です。
紫式部の父親為時は【暗学寒夜、紅涙染襟;除目朝後、蒼天在眼】の漢詩を書いたことがある。
彼にして一生懸命頑張ったつもりだが、採用公布に漏れて、地方官でさえ意の如くにならなかった。悔し紛れにこの詩句を即妙に詠じた。この詩句のどこが僕の心を打ったというと、【蒼天在眼】です。
こんな不公平な結末を、青い空の神様が見詰めてくれているよ、私のこの不遇な境遇を。天の神様が必ず私のために公平な結果を与えてくださると、彼は信じていた。
為時が心の中で信じて疑わない【蒼天】が、正義の味方であろうこと、容易に見て取れる。
つまりだ、あなたにはあなたの正義があり、私には私の正義がある、と言うのではなくて、我々は同じ正義があると信じるからこそ、公平に生きられ、社会公正を求めるわけだ。社会もこのために法律を作り、不公平から我々を護ってもらえるのだ。
どんな国家でも地球に生存する以上、この鉄則から逃れない。
正義とはこういうことではないか、と思う。
私の知りうる限りでは古代から今日にいたるまで、この問題を回避した哲学者がいない。回答の角度が違うにせよ、必ずこの問題に真剣に取り込んでいた。孔子にせよ、キリストにせよ、仏陀にせよ。
人類は同じ方向に行っているか、これはどちらかといえば別問題です。
日本人が祖国である日本のために弁護したいのは、すこしも間違っていないし、少しも不当ではない。寧ろ理解、尊重に値する行為だと、私は思う。
しかし日本と他の多数国の人とは、違う正義の定義を持っているというなら、それはとんでもない間違いだと、私は思う。
去年アメリカ議会が東京裁判有効性の決議をしたが、日本政府は異議を唱えたか?それが今回の慰安婦問題決議とは、まるきり違う性質の決議だった。なぜならあの決議には法律的拘束が伴うからだ。
日本自身が悪だなんていう人は一人もいません。日本はかつての戦争でどんな悪行をしたかが問題です。中国に負けては居ませんが、アメリカに負けたという、素朴な言い訳が通用すると信じる奴が完全可笑しい。
現代から遡って15世紀以前の日本人を【国民の歴史】と書く奴は、歴史のいろはも知らない。【国民】の概念すら理解していないと断言してよい。それは正に日本人を侮辱する浅薄な作法。
僕はいくらか観念論に走りがちなタイプですが、しかし正義論は本来観念論であると、言いたい。
何回か言いましたが、僕はどちらかといえば、ディアスポラー式考え方をします。極端に国家主義、大国主義が嫌い。大中華主義も嫌い。当然独裁体制が骨の髄まで嫌い。
逃れないけれど、いつもぎりぎりの線を描いて歩いています。
それとあなたとakiさんにお願いした文章は、国際0000研究集会で発表して、論文要旨の英訳もありました。0の写真も会議録(論集)にありました。多分また幾つかは雑誌に0表するでしょう。(絶対内緒だよ)
ここで0めて篤く篤く00マを下げます。お礼を言うチャンスがなくて困っていました。これで・・・
君なら無理に返事しなくても分かるから、気にしないで。気軽に進行したり、激論したりして。後、かはらさんの歌を聴きましたよ。ありがとうございます。
これは メッセージ 21473 (open_fire22 さん)への返信です.