般若心経
投稿者: dream_hydrangea_serrata 投稿日時: 2005/06/16 00:46 投稿番号: [17964 / 21882]
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子
色不異空空不異色 色即是空空即是色
受想行識 亦復如是 舎利子
是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意
無識声香味触法 無限界乃至無意識界
無無明 亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得
故菩提薩捶 依般若波羅蜜多
故心無圭礙無圭礙 故無有恐怖
遠離一切顛倒無想 究竟涅槃三世諸仏
得般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒
能除一切苦 真実不虚故
説般若波羅蜜多咒 即説咒曰
羯諦 羯諦 波羅羯諦
波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
観音菩薩は甚深なる智慧の完成を修行し、一切の存在するものの五つの構成要素は実体のないものであると見抜かれ、更に一切の苦悩や災厄を取り除かれた。
シャーリプトラよ。
この世においては物質的現象には実体がないのである。
また、実体がないからこそ物質的現象なのである。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。
同様に、感覚も、表象も、意志も、六種の認識も、すべて実体がないのである。
シャーリプトラよ。
この世の、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく汚れを離れたものでもなく、増すということもなく、減るということもない。
故に実体がないから、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。
眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。
迷いもなく、迷いがなくなることもない。
ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというのである。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。
知ることもなく、得るところもない。
それ故に、得ることがないから、諸の求道者は智慧を修して心にわだかまりがない。
心をにわだかまりがないから、恐れがなく、世俗の心を遠く離れて永遠の平安に住している。
過去・現在・未来の三世に亙る諸仏は、すべて、智慧の完成に依って、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。
智慧の完成の大いなる真言を。
大いなるさとりの真言を、無上の真言を。
無比の真言はすべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがたいから真実であることを。
その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
曰く、
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれよ。
ここに、智慧の完成の心が終わった。
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梵我一如
梵と我が一如となれば解脱できましゅ。
そのために修行を積みましゅ。
座禅もヨガも同じ。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子
色不異空空不異色 色即是空空即是色
受想行識 亦復如是 舎利子
是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意
無識声香味触法 無限界乃至無意識界
無無明 亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得
故菩提薩捶 依般若波羅蜜多
故心無圭礙無圭礙 故無有恐怖
遠離一切顛倒無想 究竟涅槃三世諸仏
得般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒
能除一切苦 真実不虚故
説般若波羅蜜多咒 即説咒曰
羯諦 羯諦 波羅羯諦
波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
観音菩薩は甚深なる智慧の完成を修行し、一切の存在するものの五つの構成要素は実体のないものであると見抜かれ、更に一切の苦悩や災厄を取り除かれた。
シャーリプトラよ。
この世においては物質的現象には実体がないのである。
また、実体がないからこそ物質的現象なのである。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。
同様に、感覚も、表象も、意志も、六種の認識も、すべて実体がないのである。
シャーリプトラよ。
この世の、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく汚れを離れたものでもなく、増すということもなく、減るということもない。
故に実体がないから、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。
眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。
迷いもなく、迷いがなくなることもない。
ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというのである。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。
知ることもなく、得るところもない。
それ故に、得ることがないから、諸の求道者は智慧を修して心にわだかまりがない。
心をにわだかまりがないから、恐れがなく、世俗の心を遠く離れて永遠の平安に住している。
過去・現在・未来の三世に亙る諸仏は、すべて、智慧の完成に依って、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。
智慧の完成の大いなる真言を。
大いなるさとりの真言を、無上の真言を。
無比の真言はすべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがたいから真実であることを。
その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
曰く、
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸あれよ。
ここに、智慧の完成の心が終わった。
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梵我一如
梵と我が一如となれば解脱できましゅ。
そのために修行を積みましゅ。
座禅もヨガも同じ。
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