イチゴさん
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2005/03/14 20:48 投稿番号: [16605 / 21882]
「奮闘記」と書いたが、その後も幾らか考えてみた。
大まじめな話。
そのある意味での「官製学問」が存在していませんか。例えば今でもアメリカや、ヨーロッパの大学、研究機関に残存し、或いはその衣鉢を受けるオリエントに関する研究のそれが、まさに官製学問です。
目的は、相手を統治するために情報収集し、分析し、施策を講じる。軍の嘱託を受けた例の『菊と刀』は典型的な一例だった。
アメリカやヨーロッパの研究機関に根ざしたそのような研究をオリエンタリズムとして厳しくE.W.サイード氏によって批判された経緯があった。
僕は、その人に強く影響された。
もちろん、それだけの思想の下で、一つの学問が成し遂げるなんて思っていませんが、類似の批判としてカルチューラル・スタディーズ、ポストコロニアル研究もあり、勢いが増している昨今です。
なぜ僕が影響を受けたの?
身につまされた所があった。
サイードは、エジプト経由、アメリカにわたったパレスチナ人です。
一口言えば、彼はディアスポラの知識人です。かれはそうした官製学問の圧制的権威を離れ、別の、彼の故郷を離れた境遇に相応しい視座をもめとめ、樹立しようとした。
僕は、「中国のためでも、日本のためでもない」日本古典研究と言ったが、正確な理解は、この意味においてである。
いいですか。僕は異邦人、ディアスポラです。このような境遇を甘んじ、この中で何が出来るかと思い付いたのも、このためです。
文化を読み替える。
相手あっての学問、共感と共生を求める学問。在野の精神が実に必要です。
ある意味では、文化の保管所は、こく国立博物館でも国立図書館でもなくて、自分の文化を背負って異国の地へ踏み込んだ日本人の背中にあるのです。
奮闘中、「奮闘」を楽しんでいますよ。
とんでもない、誰が負けるものか?
ははは・・・
これは メッセージ 16593 (wangjunhe720 さん)への返信です.
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