futonkabaayabureta さん
投稿者: onlyabird 投稿日時: 2005/02/04 10:36 投稿番号: [16052 / 21882]
よく外国へ行ってなんでも自国と比較して最後どうしても我慢できなくなって逃げ帰ってそして外国の悪口をする,というパターンの人はあるのですが,それは動機そのものに問題があると思います.
こういう事例があります.あるアメリカの会社は,社員をEU各国の同類会社に派遣して学習に行かした.一年後その社員が戻ってきて出した報告書に,EU各国の会社は,技術レベルはわが社ほど進んでいない,管理層はわが社より粗末,人員素質はわが社より低い,コストパフォーマンスはわが社より悪い...よって結論はわが社はEU各社よりいいところはたくさんあってEU各社はわが社に見習うべきのである.ということを述べた.その後,役員会で討論後,全員一致な意見で,この社員を解雇した.理由は,わが社の長所はわざわざEUと比べなくてもわかっている.君をEUに一年間も派遣した理由は,EUの長所を発見してほしいとのことだ.君の報告書は,君は任務をまったく完成していないどころ,任務そのもの,立場そのものを理解もできず,うぬぼれながら他社を見下すことしかできなかった.
と,何でも自国と比較すれば,自国は自分にとって何でも慣れているし,自分も国民だから,外国人ならでの言語問題,差別問題の二重バリアがあるわけないため外国より何でも自国の物がよいと感じるのは当然といえば当然です.しかし,異国に自分を溶け込んでいって初めて,異文化を理解できるようになり,そして,自国文化についてもより一層理解できるようなります.かもしれません.
わたくしは個人の経験としては,自分は高校まで中国にいたがそのときすでに中国語についての言語能力が非常に高いと思ったが,日本で十年近く生活していて日本語をマスタするようになると,かえって中国語に対する理解がさらに深まったのです.
言語や,風習など,違う国では違うのは当然ですが,本質としては一緒のはずです.言語の本質は,最初は自然界の現象を,その後人間の感情を,その後抽象的な思想を表すものです.そして,料理の本質なら当然おいしいものがそれですし,風習の本質は誰にとっても豊かで安全,快適な社会を作るための人々の共同な振る舞いです.国が違って言語も風習も料理も,表現的に違っていても本質上は同じのはずです.
外国の言語風習料理について触れていると,不明なところはきっと山ほどあります.しかし,それをすぐ異端と決め付ける前に,それがなぜ成り立つか(存在すれば存在する意義がある)について考えて,考えるときはその国の人の立場で考えると割と理解しやすいのです.理解したらそれを自国の言語風習料理やその他に照らし,今までわかりきっていると思った自国にも本当に今まで理解できていない,気づいていないところに気づいて理解できるようになります.
前のだれだれさんは,お前ら日本にきて日本語を勉強しにきたろう,と言いましたが,そのとき私は反論を書きましたが投稿制限にかかって投稿できませんでした.実は,わたくしにとっては,留学その一番大きい意味は,異国文化に触れ合い,立場の転換や,中立的な視点や,そして,自国文化に対する更なる認識など能力や体験が,勉強して得た知識よりもっと重要なものと思います.
勉強でがんばっていたら確か学者になれて尊敬されるのは間違いないですが学者だからといって必ずしも物分りのわけではありません.むしろ,もっぱら勉強しかできない学者の方が国粋主義な人が多く,それは,彼らにとって,外国や外国人について理解ができない,その立場も知らない,中立な視点も持たないからと思います.
こういう事例があります.あるアメリカの会社は,社員をEU各国の同類会社に派遣して学習に行かした.一年後その社員が戻ってきて出した報告書に,EU各国の会社は,技術レベルはわが社ほど進んでいない,管理層はわが社より粗末,人員素質はわが社より低い,コストパフォーマンスはわが社より悪い...よって結論はわが社はEU各社よりいいところはたくさんあってEU各社はわが社に見習うべきのである.ということを述べた.その後,役員会で討論後,全員一致な意見で,この社員を解雇した.理由は,わが社の長所はわざわざEUと比べなくてもわかっている.君をEUに一年間も派遣した理由は,EUの長所を発見してほしいとのことだ.君の報告書は,君は任務をまったく完成していないどころ,任務そのもの,立場そのものを理解もできず,うぬぼれながら他社を見下すことしかできなかった.
と,何でも自国と比較すれば,自国は自分にとって何でも慣れているし,自分も国民だから,外国人ならでの言語問題,差別問題の二重バリアがあるわけないため外国より何でも自国の物がよいと感じるのは当然といえば当然です.しかし,異国に自分を溶け込んでいって初めて,異文化を理解できるようになり,そして,自国文化についてもより一層理解できるようなります.かもしれません.
わたくしは個人の経験としては,自分は高校まで中国にいたがそのときすでに中国語についての言語能力が非常に高いと思ったが,日本で十年近く生活していて日本語をマスタするようになると,かえって中国語に対する理解がさらに深まったのです.
言語や,風習など,違う国では違うのは当然ですが,本質としては一緒のはずです.言語の本質は,最初は自然界の現象を,その後人間の感情を,その後抽象的な思想を表すものです.そして,料理の本質なら当然おいしいものがそれですし,風習の本質は誰にとっても豊かで安全,快適な社会を作るための人々の共同な振る舞いです.国が違って言語も風習も料理も,表現的に違っていても本質上は同じのはずです.
外国の言語風習料理について触れていると,不明なところはきっと山ほどあります.しかし,それをすぐ異端と決め付ける前に,それがなぜ成り立つか(存在すれば存在する意義がある)について考えて,考えるときはその国の人の立場で考えると割と理解しやすいのです.理解したらそれを自国の言語風習料理やその他に照らし,今までわかりきっていると思った自国にも本当に今まで理解できていない,気づいていないところに気づいて理解できるようになります.
前のだれだれさんは,お前ら日本にきて日本語を勉強しにきたろう,と言いましたが,そのとき私は反論を書きましたが投稿制限にかかって投稿できませんでした.実は,わたくしにとっては,留学その一番大きい意味は,異国文化に触れ合い,立場の転換や,中立的な視点や,そして,自国文化に対する更なる認識など能力や体験が,勉強して得た知識よりもっと重要なものと思います.
勉強でがんばっていたら確か学者になれて尊敬されるのは間違いないですが学者だからといって必ずしも物分りのわけではありません.むしろ,もっぱら勉強しかできない学者の方が国粋主義な人が多く,それは,彼らにとって,外国や外国人について理解ができない,その立場も知らない,中立な視点も持たないからと思います.
これは メッセージ 16030 (futonkabaayabureta さん)への返信です.