差異と共通点
投稿者: aqualine2000jp 投稿日時: 2004/11/04 00:32 投稿番号: [14364 / 21882]
>全世界で様々な宗教観や考え方があるはずです。
それを比較するためには同じ部分を抽出して、異なる部分は
敢えて無視しなければならない場合があると思います<
同意。
よって、靖国(神社)が他国に比べ違いがあろうと無かろうと、「慰霊」「弔い」という点で違いは無いはずですね。
靖国を勉強せよといったのは、w氏がこの点にこだわっていたからです。
神社と墓地の違いを他国の慰霊と違うように突っ込んでいたので。
w氏が日本文学などを趣味もしくは研究していると伺っていたので。
学問を志す立場としては不適当な態度だなぁと感じまして、ご自身での調査を「お勧め」したまでです。
単なる縁者を中心とした「弔い」であれば、直接埋葬してある「墓地」来訪でいい訳です。
日本には「たまたま」「神社」というモノがあり、「国に殉じた方を不特定多数で弔う」のに適していた、と。
菅原道真は実在の人物ですよ。
「国のために殉ずる」ことには、多かれ少なかれ「無念」が伴う。そういう点でも「神社」による「慰霊」は最適だと思われます。まさに、大宰府の縁起を考察すれば。(←このへんも「文学研究者」なら勉強すべきと感じた理由)
もし「被侵略国」の現在の国民の信条を配慮して参拝の変更を考えた場合、中・韓の公式な対応がそれを難しくしていることは結構大事です。
テロリストが「自衛隊撤退」を公式に表明したために、「テロに屈しない」という原則から、いつどんな理由での撤退も「テロに屈した」「テロリストの勝利宣言」となり、自体沈静化まで自衛隊の撤退は事実上「不可能」になりました。
先に述べた「弔いに関する権利」を、内政干渉で侵害しようとする動きに、屈するわけには行かないでしょ?
「国内的には」議会で正式に名誉回復された戦没者を、当然の権利のモトに弔っている。
「当然の権利」を、配慮の下変更取りやめたと言っても、「われらの主張に日本は屈した!」
「日本は間違いを認めた!」
と、されるわけにはいかないですから。
>大逆転で原爆が投下された後に日本が戦争に勝ち、
「ワシントン裁判」でトルーマンをA級戦犯として処刑する。
もし、このような歴史だったら、
トルーマンに対してアメリカ大統領が公式に弔意を表す
ことを私たちは許さないかもしれません。<
・・・なら、それが間違いです。
どなたか問うていましたが、「参拝反対や不快感の理由」、もし東京裁判が関わっているとすれば、それはもはや理由には不適当であることは先に述べました。
それを理由にした途端に参拝否定が矛盾を持つんです。
憎むとかは別です。恨めばよい、憎めばよい。
「直接身内や先達に手をかけた兵士を憎む」以上の発言や要求は「やってはいけない」「ありえない」ことです。
これも先に述べました。
如何なる理由があろうと誰からの要求であろうと、日本が当然持つ弔いの権利の下、靖国参拝は変更も配慮も必要ないと思います。
そして、内政干渉や政治的駆け引きに出された時点で「仮に」参拝が変更するべきことだとしても、「変えるべきではない」事項になってしまいました。
もし、「被侵略国民」の声が真実かつ多数であるなら、「変えない理由の啓蒙」のほうが現実的かつ重要だと考えます。
神社参拝による弔意表明が「非人道的な方法」であったり、理由に不適当な点があるなら、理性的で理論的なご指摘さえあれば変更を受け入れる「余地」はあると思います。
それを比較するためには同じ部分を抽出して、異なる部分は
敢えて無視しなければならない場合があると思います<
同意。
よって、靖国(神社)が他国に比べ違いがあろうと無かろうと、「慰霊」「弔い」という点で違いは無いはずですね。
靖国を勉強せよといったのは、w氏がこの点にこだわっていたからです。
神社と墓地の違いを他国の慰霊と違うように突っ込んでいたので。
w氏が日本文学などを趣味もしくは研究していると伺っていたので。
学問を志す立場としては不適当な態度だなぁと感じまして、ご自身での調査を「お勧め」したまでです。
単なる縁者を中心とした「弔い」であれば、直接埋葬してある「墓地」来訪でいい訳です。
日本には「たまたま」「神社」というモノがあり、「国に殉じた方を不特定多数で弔う」のに適していた、と。
菅原道真は実在の人物ですよ。
「国のために殉ずる」ことには、多かれ少なかれ「無念」が伴う。そういう点でも「神社」による「慰霊」は最適だと思われます。まさに、大宰府の縁起を考察すれば。(←このへんも「文学研究者」なら勉強すべきと感じた理由)
もし「被侵略国」の現在の国民の信条を配慮して参拝の変更を考えた場合、中・韓の公式な対応がそれを難しくしていることは結構大事です。
テロリストが「自衛隊撤退」を公式に表明したために、「テロに屈しない」という原則から、いつどんな理由での撤退も「テロに屈した」「テロリストの勝利宣言」となり、自体沈静化まで自衛隊の撤退は事実上「不可能」になりました。
先に述べた「弔いに関する権利」を、内政干渉で侵害しようとする動きに、屈するわけには行かないでしょ?
「国内的には」議会で正式に名誉回復された戦没者を、当然の権利のモトに弔っている。
「当然の権利」を、配慮の下変更取りやめたと言っても、「われらの主張に日本は屈した!」
「日本は間違いを認めた!」
と、されるわけにはいかないですから。
>大逆転で原爆が投下された後に日本が戦争に勝ち、
「ワシントン裁判」でトルーマンをA級戦犯として処刑する。
もし、このような歴史だったら、
トルーマンに対してアメリカ大統領が公式に弔意を表す
ことを私たちは許さないかもしれません。<
・・・なら、それが間違いです。
どなたか問うていましたが、「参拝反対や不快感の理由」、もし東京裁判が関わっているとすれば、それはもはや理由には不適当であることは先に述べました。
それを理由にした途端に参拝否定が矛盾を持つんです。
憎むとかは別です。恨めばよい、憎めばよい。
「直接身内や先達に手をかけた兵士を憎む」以上の発言や要求は「やってはいけない」「ありえない」ことです。
これも先に述べました。
如何なる理由があろうと誰からの要求であろうと、日本が当然持つ弔いの権利の下、靖国参拝は変更も配慮も必要ないと思います。
そして、内政干渉や政治的駆け引きに出された時点で「仮に」参拝が変更するべきことだとしても、「変えるべきではない」事項になってしまいました。
もし、「被侵略国民」の声が真実かつ多数であるなら、「変えない理由の啓蒙」のほうが現実的かつ重要だと考えます。
神社参拝による弔意表明が「非人道的な方法」であったり、理由に不適当な点があるなら、理性的で理論的なご指摘さえあれば変更を受け入れる「余地」はあると思います。
これは メッセージ 14334 (kikuoyomune さん)への返信です.