少し勉強P.22
投稿者: kon_do_i 投稿日時: 2004/10/04 22:24 投稿番号: [13692 / 21882]
結局、ベトナム戦争はベトナム特有な地形(ジャングル)に阻まれ、泥沼の戦となりアメリカは撤退せざるを得なかったのです
原因はご存知かと思いますが一応↓
アメリカは空爆が得意で、空爆でモノをいわす戦法をとっていました
地上を空爆によりボロボロにし、後に戦車等の陸軍が仕掛けていくのです
最近のイラク戦争でも同じことしてますね
日本でも同じことしていきました(怒
続けますが、ジャングルが濃すぎて、地上部隊と空軍の連帯が上手くいかなかったのです
地上部隊はベトナムの部隊を発見し、空軍に連絡するのですが、ジャングルジャングルしてて、空から確認出来ないのですね
敵も味方も、どこにいるか分からなかったのです
アメリカ得意の空爆が全く生かせなかったのですね
これが敗戦の原因だったのです
敗戦により、西側で「反戦運動」が盛んになり、民主主義ですから世論が怖く大人しくしていました
が、ソ連はこれを機に、共産圏を広める運動を活発にしました
1975年〜1978年までの間に、「カンボジア、ベトナム、ラオス、アンゴラ(アフリカの一国)、エチオピア、モザンピーグ、南イエメン、アフガニスタン」が共産化してしまい、親ソ連国が出てきてしまいました
1968年には、チェコスロバキアで自由主義を建設しようとしていましたが、ソ連が来て軍事介入したため挫折してしまいました
チェコスロバキアに戦車で突っ込んできて、人々を凪ぎ倒していったのです…
「プラハの春」と呼ばれた事件です…
明らかに内政干渉ですね、国連はソ連に警告を発していたのにもです
ソ連の言い訳ですが、「ソ連の軍事介入はチェコスロバキア政府の要請である」としています
まったく矛盾していますね。チェコスロバキア政府は「自由主義」を唱えていたのですからね
世界各国は暗雲に包まれていましたね
そこでアメリカのケネディ大統領はソ連のフルシチョフと世界を二分にし、調和ある対立の元で平和にやっていこうと手を結んだのでした
と、直後、ケネディ大統領は暗殺されてしまいましたね
今や謎となりましたが、大筋では「軍事産業に絡む連中が暗殺した」となっています
当時、アメリカは既に戦争経済で経済が潤っている部分があったのです
ケネディはそれを恐れていたのですね、アメリカはいつの間にか戦争大国になりはしないかと
ソ連と軍縮をしようとした途端の暗殺です
そして現在、ケネディ大統領の危惧はほぼ的中したましたね
軍事産業を敵に回すと、一国の主であろうが容赦されない
ってことが…
ソ連のフルシチョフにしても、同様に失脚してしまいます(ここは当然の結末でしたが…汗)
西も東も軍事産業然りから抜け出せないのですね…
ベトナム戦争はケネディ・フルシチョフの失脚により、泥沼戦争が10年以上続いたのです
かつて日本も歴史の波を止めようとしましたが、ケネディもフルシチョフも歴史の波には適わなかったのです…
ベトナム戦争が終わった頃、世論は反戦が大盛んになり、結局はケネディとフルシチョフがしようとしたこと(軍縮)を始めることになりました
ようやく平和が訪れるのでした…
西側は喜び、踊り、祝いました
アレ?東側は?
軍拡していますが何か?(核爆
西は軍縮していたのに、東は軍拡をしているではありませんか
分かりますか、この怖さ
平和になろう!と、東が賛同すること、すなわち、ちゃっかり軍拡をすること。ですから
前にも書きましたが、「こっちが平和にするから、あっちも平和にするだろう」という考えは通用しないのです
逆なことをしてくれるのです
西の軍縮を機に、圧倒的な力で攻めようとするのです
日本はまんまと、平和漬けにされた意味は分かってもらえたのではないでしょうか?
マスコミも手伝って、日本を平和ボケにしてしまったのです
マスコミも平和なのですね…
教訓:東側にとっての平和とは、相手に平和になってもらっているスキに、自分たちは力を蓄えること
これって、東側思想には「共存共栄」は元からありえない。って証明してみせてません?
首脳陣の利益追求による独裁政権の意味が分かるというものですね
原因はご存知かと思いますが一応↓
アメリカは空爆が得意で、空爆でモノをいわす戦法をとっていました
地上を空爆によりボロボロにし、後に戦車等の陸軍が仕掛けていくのです
最近のイラク戦争でも同じことしてますね
日本でも同じことしていきました(怒
続けますが、ジャングルが濃すぎて、地上部隊と空軍の連帯が上手くいかなかったのです
地上部隊はベトナムの部隊を発見し、空軍に連絡するのですが、ジャングルジャングルしてて、空から確認出来ないのですね
敵も味方も、どこにいるか分からなかったのです
アメリカ得意の空爆が全く生かせなかったのですね
これが敗戦の原因だったのです
敗戦により、西側で「反戦運動」が盛んになり、民主主義ですから世論が怖く大人しくしていました
が、ソ連はこれを機に、共産圏を広める運動を活発にしました
1975年〜1978年までの間に、「カンボジア、ベトナム、ラオス、アンゴラ(アフリカの一国)、エチオピア、モザンピーグ、南イエメン、アフガニスタン」が共産化してしまい、親ソ連国が出てきてしまいました
1968年には、チェコスロバキアで自由主義を建設しようとしていましたが、ソ連が来て軍事介入したため挫折してしまいました
チェコスロバキアに戦車で突っ込んできて、人々を凪ぎ倒していったのです…
「プラハの春」と呼ばれた事件です…
明らかに内政干渉ですね、国連はソ連に警告を発していたのにもです
ソ連の言い訳ですが、「ソ連の軍事介入はチェコスロバキア政府の要請である」としています
まったく矛盾していますね。チェコスロバキア政府は「自由主義」を唱えていたのですからね
世界各国は暗雲に包まれていましたね
そこでアメリカのケネディ大統領はソ連のフルシチョフと世界を二分にし、調和ある対立の元で平和にやっていこうと手を結んだのでした
と、直後、ケネディ大統領は暗殺されてしまいましたね
今や謎となりましたが、大筋では「軍事産業に絡む連中が暗殺した」となっています
当時、アメリカは既に戦争経済で経済が潤っている部分があったのです
ケネディはそれを恐れていたのですね、アメリカはいつの間にか戦争大国になりはしないかと
ソ連と軍縮をしようとした途端の暗殺です
そして現在、ケネディ大統領の危惧はほぼ的中したましたね
軍事産業を敵に回すと、一国の主であろうが容赦されない
ってことが…
ソ連のフルシチョフにしても、同様に失脚してしまいます(ここは当然の結末でしたが…汗)
西も東も軍事産業然りから抜け出せないのですね…
ベトナム戦争はケネディ・フルシチョフの失脚により、泥沼戦争が10年以上続いたのです
かつて日本も歴史の波を止めようとしましたが、ケネディもフルシチョフも歴史の波には適わなかったのです…
ベトナム戦争が終わった頃、世論は反戦が大盛んになり、結局はケネディとフルシチョフがしようとしたこと(軍縮)を始めることになりました
ようやく平和が訪れるのでした…
西側は喜び、踊り、祝いました
アレ?東側は?
軍拡していますが何か?(核爆
西は軍縮していたのに、東は軍拡をしているではありませんか
分かりますか、この怖さ
平和になろう!と、東が賛同すること、すなわち、ちゃっかり軍拡をすること。ですから
前にも書きましたが、「こっちが平和にするから、あっちも平和にするだろう」という考えは通用しないのです
逆なことをしてくれるのです
西の軍縮を機に、圧倒的な力で攻めようとするのです
日本はまんまと、平和漬けにされた意味は分かってもらえたのではないでしょうか?
マスコミも手伝って、日本を平和ボケにしてしまったのです
マスコミも平和なのですね…
教訓:東側にとっての平和とは、相手に平和になってもらっているスキに、自分たちは力を蓄えること
これって、東側思想には「共存共栄」は元からありえない。って証明してみせてません?
首脳陣の利益追求による独裁政権の意味が分かるというものですね
これは メッセージ 13691 (kon_do_i さん)への返信です.