サッカー・アジアカップの反日問題

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少し勉強P.10

投稿者: kon_do_i 投稿日時: 2004/10/01 23:00 投稿番号: [13622 / 21882]
等と、欧米諸国ではロシアに対する当然の認識でした    つづき


日本からすれば、欧米諸国は「鬼畜の如し」でしたが、
欧米諸国からすれば、ロシアは「最悪の国」でした

そうです、日本人にはロシアは想像を絶する国だったのです

ロシアが朝鮮を侵略したこと=日本への宣戦布告
と言っても過言ではないでしょう

実際、朝鮮を陥落させて、攻めてきましたから(爆

そんなロシアに支配された国の民はどんな仕打ちを受けたのでしょう…
それこそ、想像を絶します


ロシアが日本に宣戦布告した時はあの伊藤博文は男泣きしたそうです
「日本人は皆殺しにされる」と。。。

世界は誰も助けてくれはしない、座して死すよりは一寸の光のために戦おう!と伊藤は決意しました

ロシアと全力で戦い、もしも日本に有利がもたらされたアカツキにはアメリカに仲裁に入ってもらおう
未知なる世界に伊藤の選択はもはや皆無でした。仲裁に入ってもらうことで被害を最小限に食い止められると考えたのでした


伊藤は、ロシアが日本を制す時は、いわば、列強各国への底知れない脅威となるだろう
と、様々なところでロシア外交をしました
無論、どの国もロシアが気に入らないので日本を肯定しました
(肯定しいる国も、さほどロシアと変らない事をしているじゃないの。と伊藤さんは突っ込みたかっただろうが、そこは大人。グッと堪え、国際世論を日本に向ける努力をしたのです)


余談:極論ですが、外交の本質は「相手を利用すること」です
日本が弱腰外交と言われる原因はそこにあります

「こっちが仲良くする気があれば、向こうも仲良くしてくれるだろう」という発想がです
日本人らしいのですが、外交ではこれらはタブーなのです


さて、こうして「日露戦争」が始まりました

国家の存亡を賭けた日本の歴史始まって以来の大戦争でした
日本の敗北=アジアの敗北ですから、当然、当時者は極限に達していたに違いありません
敗北の怖さというか、そんな生易しいものではなかったのですから…

日本はイギリスと同盟を結び、ロシアの牽制を図りましたが、スルーされました(爆

陸では中国大陸へ渡り、迎撃しました。日本で迎撃していては遅いからです
戦いは峻烈を極めました。日本の若者は大勢戦死しました…
「203高地」という戦場で、何万人の戦死者を出しました
が、幸いにも陸戦では日本が勝利を収めます

まだロシアには「バルチック艦隊」が日本に向かっていました
これが曲者なのです。この艦隊を撃破しなければ、陸戦の勝利も水の泡と化してしまいます

各国との外交で、ロシア包囲網を完成させ、バルチック艦隊を遠回りさせるなど、出来るだけのことは日本はしたのです


――運命の日1905年5月17日

日本連合艦隊 vs バルチック艦隊
通称「日本海海戦」が開催されました(爆


東郷平八郎曰く「皇国の興廃、この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ、勝って兜の緒を締めよ」
(世界でも有名な人物、東郷平八郎は「アドミラル・トーゴー」と恐れらた存在です)

伊藤博文の賭けは大当たりし、陸軍・海軍ともに一時ですが勝利を収めました

捨て身を覚悟し、日本連合艦隊は「Tの字戦法」でバルチック艦隊を「叩きのめし」辛勝したのです


勿論、ロシアの大軍はなくなったワケではなく、一時、ロシアに勝利したという感じです(正直な話、勝利ではなく、負けなかった。というのが正しいのです)
伊藤は早速、講和に持ち込み日本を守りきったのでした

講和をしなければ、長期戦となり確実に日本は侵略されていたでしょう


以前も↓フラッシュのアドレスをのっけましたが、これを見て休憩しましょう(近代日本かく戦えり)
http://www.geocities.jp/f_mir_f/kakutatakaeri.html
東郷さん写真で出てきます
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