北朝鮮住民亡命問題

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歓待をいかに法たらしめるか?

投稿者: hospitalite123 投稿日時: 2003/03/08 01:39 投稿番号: [46 / 390]
  昨日は日本の言説・表象空間で働いている力学、改めて付け加えますがそれが通常不可視であるということを勘案して、その磁場や機能について問いただしてゆくことが、理論水準はもとより、政治水準……まあ、言うまでもなくこれらが厳密に区別できるわけではないですが、ともあれ理論・実践を包括した、言い換えるなら実践的理論=理論的実践の地平で大いに必要だ、ということを述べた上で、この国における自画像を時間的な単位でみた場合どうなるのか、という問題系を提示しました。
  これを深めてゆくことは、もちろん、理論/実践という二項対立が機能する以前の段階で有効だと思いますが、ただ、その是非はどうあれ、この手のものは必ずしも「即座に」結果が表れるものではない。そこで、ここでは、他ならぬ「北朝鮮住民亡命問題」と「あの」議論がどういう接点を、どういう形で持ち得、またどの程度の効果が期待できるのか、という、まあ「実験済」のことではないので、どうしても思弁的な方向に流れざるを得ないんですが、ともあれそういう方向で議論を深められれば、と思います。
  私は「時差」という概念を導入し、またそれが一般的な時間の表象とは異なるーーもっとも時間を「表象」とすること、つまり時間の空間化ですね、そのこと自体、すでに一世紀以上もまえに、その陥穽が指摘されているわけですがーーことをいったわけですが、じゃあ、いったい全体、この「時差」というのは何なんだ、という疑問、あるいは批判が起こるのは当然だと思います。
  結論からいうと、要するに、時間というものは系列化できない、ということですね。
  最も象徴的なこととして、僕も含めておそらく大抵のかたは覚えていないと思いますが、誰にも「生誕」という場面があります。
「Xはyの家族のもとにzで産まれた」。
  この変数は、原理的には無限で、かつ絶対的に制限されている。つまり、原理的な水準においてはどのような「組み合わせ」も可能であるにも拘らず、また、たとえそれが実際にも無限であったとしても、事実、あるいは結果は「産まれてくる」者の意思とは無関係なわけです。これは、おそらくほとんどすべての宗教、少なくともその世俗的形態の代表たるナショナリズムの源泉であり、したがって、いわゆる「脱北者」のなかでも、80年代以降に産まれた比較的若い世代の多く、より視座を限定され、生まれながらに朝鮮民主主義人民共和国の国家体制の恐るべきーーだが、これを例外視するのは誤りのもとだろう。日本の属する「自由主義」陣営も含め、国民国家が自国民に要求するのは「国家への忠誠」であり、「均一化」です。
  私は、とりわけ後者、すなわち「国民の均一化」という契機を撹乱する「あらゆる」契機を歓迎します。同じ性別でなくても、同じ肌の色をしていなくても、同じ言語を話ていなくても、同じ趣味を持ち合わせていなくても……等々、それでも、というよりむしろ、そうであればこそ、私たちは他者を迎え入れるべきであり、また、迎え入れなくてはならない。
  人権や人道を「無制限に」唱えると、やれ「観念論」だ、「偽善」だ、「タテマエ」だ、等々、という悪質な罵声を投げかけるひとがいますが、普遍性への指向があるからこそ人権であり人道たりうるのではないでしょうか。
  「ウチの事情」も分かってくれ、というのは言い分けに過ぎない。すくなくとも「日本の事情」を楯にとるのは、端的に「間違い」です。
  日本の国土が狭い、これは事実です。しかし、少なくとも、日本中がゲットーのような状況にあるわけではない。おそらく、誰でも自宅からほんの十数分も歩けば国有となった空き地の一つや二つみつけられるのではないか。
  要するに「まだ」土地はあるのです。野宿者、難民、その他正当な理由で庇護・保護を必要とする人たちに無償で住宅を、生活必需品を、援助することは、まえに挙げた「歓待」の法として絶対に必要なのだ、ということを強調したいと思います。

付記:いわゆる「拉致問題」についてはそのトピックをみてください。
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