「造語の強制連行」に翻弄されて
投稿者: syowa2003 投稿日時: 2003/10/16 23:51 投稿番号: [6836 / 44985]
多くの「強制連行」経験者の方は、記憶違いをされているのか、もしくは当時の
労働が厳しかった記憶の為に当時の自分の労働は、戦後に聞いた「強制労働」に
あたると思い込んでしまわれたと思えるケースがあります。
このような「無意識の後付け強制連行」とでもいうべきか、後の偏った情報による
「思い込みの強制連行経験者」の方が大半ではないかとも私は考えています。
それらの方々の主張には以下のような矛盾点が見受けられます。
・年代が合わない
(官斡旋・徴用実施以前に内地に渡航もしくは就労している)
・斡旋・徴用労働者が居なかった自治体で働いている
(徴用労働者が働いた先は確認されている)
・同じ徴用先で働いてた半島出身者と労働環境についての主張が異なる
(同じ半島出身者でも徴用労働者は一般労働者より職場環境が良かった)
・妻子と一緒に渡航して住み込むで働いたり、バラックを作って暮らしている
(徴用の場合は単身。住居は保証される)
・徴用で炭鉱で働いたはずなのに、自分の意志で複数の炭鉱を渡り歩いている。
(徴用の場合、基本的に炭鉱の移動は不可。斡旋・募集の場合は転職自由)
・徴用で来たと主張しているが、渡航直後から自営業を営んだり、飲食店で働いている
(徴用の場合は職種が限定される。飲食業・自営などは不可能)
・労働が厳しいので転職した。
(徴用は基本的に転職不可。)
・炭鉱で働いたが、汚くて狭い部屋に朝鮮人・中国人・日本人と一緒に押し込まれた。
(斡旋・徴用なら基本的に出身地域別の宿舎。※生活習慣の違いによるトラブル回避)
(当時タコ部屋は存在したが、斡旋・徴用労働者とは別宿舎)
中には同胞や子孫への体面や保身の為に、意図的に「強制連行」されたと主張され
た方もいたようですが、殆どの方は悪意からではなく当時の厳しかった労働環境か
らの思い込みのケースや、戦後の「強制連行」刷り込みの為の、記憶の混乱が原因
のようです。
・近代国家・国民の意識が薄かったゆえの誤解
(徴用の何たるかを理解していなかった=本人にとって強制労働に思えた)
・半島での末端役人・斡旋業者の説明不足
(本人は物見遊山気分での出稼ぎ程度に思っていた)
・半島では農業しか経験していなかった為、炭鉱労働が極端に厳しく思えた
(実際に危険で厳しい仕事ではあったが、それは日本人炭鉱労働者にとっても同じ)
実際に「強制連行」の経験談や手記においても、このような思い込み勘違いによる
主張が多くなされています。
中には「北海道を見物したいと思って徴用(恐らく実際は募集だと思える)を受け
たら、勤め先が炭鉱だったので辛くて逃亡した」と書かれている方までおられます。
また一部には、日本敗戦後の密入国や朝鮮戦争の徴兵逃れで渡航されてきた人の中
には、意図的に強制連行の被害者を名乗った方もおられました。
※このような方が、のちにその嘘を暴かれたケースも複数あります。
いずれにしろ殆どのケースは戦後生まれの造語「強制連行」と、そのイメージによる刷り
込み思い込み振り回されている感が否めません。
そして現在でもネット、出版物、講演を問わず、この造語に基づく誤解や刷り込みによる
つじつまの合わない「強制連行経験談」が数多く存在し、これらが在日の方日本人双方の
誤解や軋轢を生み出している事は非常に残念です。
労働が厳しかった記憶の為に当時の自分の労働は、戦後に聞いた「強制労働」に
あたると思い込んでしまわれたと思えるケースがあります。
このような「無意識の後付け強制連行」とでもいうべきか、後の偏った情報による
「思い込みの強制連行経験者」の方が大半ではないかとも私は考えています。
それらの方々の主張には以下のような矛盾点が見受けられます。
・年代が合わない
(官斡旋・徴用実施以前に内地に渡航もしくは就労している)
・斡旋・徴用労働者が居なかった自治体で働いている
(徴用労働者が働いた先は確認されている)
・同じ徴用先で働いてた半島出身者と労働環境についての主張が異なる
(同じ半島出身者でも徴用労働者は一般労働者より職場環境が良かった)
・妻子と一緒に渡航して住み込むで働いたり、バラックを作って暮らしている
(徴用の場合は単身。住居は保証される)
・徴用で炭鉱で働いたはずなのに、自分の意志で複数の炭鉱を渡り歩いている。
(徴用の場合、基本的に炭鉱の移動は不可。斡旋・募集の場合は転職自由)
・徴用で来たと主張しているが、渡航直後から自営業を営んだり、飲食店で働いている
(徴用の場合は職種が限定される。飲食業・自営などは不可能)
・労働が厳しいので転職した。
(徴用は基本的に転職不可。)
・炭鉱で働いたが、汚くて狭い部屋に朝鮮人・中国人・日本人と一緒に押し込まれた。
(斡旋・徴用なら基本的に出身地域別の宿舎。※生活習慣の違いによるトラブル回避)
(当時タコ部屋は存在したが、斡旋・徴用労働者とは別宿舎)
中には同胞や子孫への体面や保身の為に、意図的に「強制連行」されたと主張され
た方もいたようですが、殆どの方は悪意からではなく当時の厳しかった労働環境か
らの思い込みのケースや、戦後の「強制連行」刷り込みの為の、記憶の混乱が原因
のようです。
・近代国家・国民の意識が薄かったゆえの誤解
(徴用の何たるかを理解していなかった=本人にとって強制労働に思えた)
・半島での末端役人・斡旋業者の説明不足
(本人は物見遊山気分での出稼ぎ程度に思っていた)
・半島では農業しか経験していなかった為、炭鉱労働が極端に厳しく思えた
(実際に危険で厳しい仕事ではあったが、それは日本人炭鉱労働者にとっても同じ)
実際に「強制連行」の経験談や手記においても、このような思い込み勘違いによる
主張が多くなされています。
中には「北海道を見物したいと思って徴用(恐らく実際は募集だと思える)を受け
たら、勤め先が炭鉱だったので辛くて逃亡した」と書かれている方までおられます。
また一部には、日本敗戦後の密入国や朝鮮戦争の徴兵逃れで渡航されてきた人の中
には、意図的に強制連行の被害者を名乗った方もおられました。
※このような方が、のちにその嘘を暴かれたケースも複数あります。
いずれにしろ殆どのケースは戦後生まれの造語「強制連行」と、そのイメージによる刷り
込み思い込み振り回されている感が否めません。
そして現在でもネット、出版物、講演を問わず、この造語に基づく誤解や刷り込みによる
つじつまの合わない「強制連行経験談」が数多く存在し、これらが在日の方日本人双方の
誤解や軋轢を生み出している事は非常に残念です。
これは メッセージ 6835 (syowa2003 さん)への返信です.
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