金炳植は韓徳銖とぶつかって北へ帰国
投稿者: patinko_fuzoku 投稿日時: 2003/10/04 22:16 投稿番号: [6175 / 44985]
【梁永厚、在日朝鮮人運動】
大阪の朝鮮学校はまだ認可を受けていなかった。日韓条約体制となり我々「北」は弾圧を受けることが予想され、認可を受ける努力をした。私が申請をやった。朝鮮人学校のこととなると自民党の人さえ協力してくれた。府議会、市議会にも民族教育の意義を訴えて認可を得ることができた。このころ、大阪総連本部は私のよく知った人が幹部を占めるようになり、そこで本部の常任になったが、70年に朝鮮総連中央に引き抜かれた。中央といっても事務だけで、当時の総連中央は金炳植が威勢をふるっていた。フクロウ部隊という手足となる私兵を抱えてさえいた。この時期に、金日成への贈り物事業、つまり金日成の還暦に贈り物を集める仕事まで担当した。紫檀の家具やらベッド、室内運動具まで担当させられた。そのうち、金炳植は韓徳銖とぶつかって北へ帰国させられた。金炳植の各種の不正が明らかになっや。しかし、韓徳銖の総連私物化もひどいものだった。
これは メッセージ 6174 (patinko_fuzoku さん)への返信です.
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