核より危険な北朝鮮の貨幣改変(1)
投稿者: gogai3000 投稿日時: 2009/12/18 17:39 投稿番号: [42587 / 44985]
韓国人の論評にしては、的を得ていて良くまとまっている。者東昊と言う
梨花女子大学教授の書いたもので、名前から推定すると女性だと思う。韓国の男性新聞記者の記事は、どれもこれも妄想に基づく落書き程度だが、韓国では女性のほうが良く働いて、理性的と良く言われる。
いずれにしても生活必需品と言うより最低限度の食料も供給しないで、幾ら通貨を弄繰り回しても危険な混乱を招くだけで、計画経済での生産、流通、配給を取り戻せるはずがない。
この論評にもあるように、武装乞食軍団と農奴の食料の奪い合いの内乱が起きるかどうか見もの。
この通貨改変で、武装乞食軍団の統制が乱れて、韓国はより安全になったと言っても良いかも。
こんなことを書くと右翼や左翼に化けそこなった、在日朝鮮人がなんと言うか、これも楽しみの一つ。
>【中央時評】核より不安な北朝鮮の貨幣改革
関連タグ 中央時評核問題貨幣改革主体思想改善措置
3年喪に服した金正日(キム・ジョンイル)が朝鮮労働党総秘書に就任した1997年、北朝鮮経済は最悪の状況にあった。 ‘苦難の行軍’と名付けられたその時期、工場は止まり、配給も途絶えた。 住民は職場を離れ、食糧を求めてさまよい、山には松の木の皮さえ残っていなかった。 数十、数百万人が餓死したという。 中国の図們から見える恵山には芝もない墓がただ並んでいた。 地上の楽園といっていたが、阿鼻地獄だった。
主体思想の「自分の運命の主人は自分自身」という言葉が浮かんだ。 本当に信じられるのは自分だけだった。 国営商店は閑散としていたため自然な流れで市場が生まれた。 物価はどんどん上がり、商売をしなければ生きていけなくなった。 計画経済が根本から崩れていたのだ。 しかし経済を立て直すために開放・改革へ進むことはできなかった。 社会主義計画経済は絶対に放棄できなかった。 それは体制維持の基盤であり、金正日自身の権力の土台だったからだ。 このため、計画経済の正常化に政策方向が決定されたのは当然のことだった。
しかし問題は‘どのように’だった。 どうすれば計画部門の生産が正常に稼働し、問題なく供給でき、住民をまた工場に戻らせることができるのかが核心だった。 90年代末、その具体案をめぐり平壌(ピョンヤン)で激論が繰り広げられたはずだ。 「貨幣改革派」はすでにその当時、貨幣改革を取り上げていただろう。 貨幣改革を通して人為的に物価を引き下げ、市場をなくそうという論理だった。 そうすれば住民が計画部門に戻ってくるしかないと主張した。 「改善措置派」は、上昇した物価を現実として受け止めようとし、「貨幣改革派」の主張に反論したはずだ。 その代わり賃金を引き上げれば物価に対応できると主張した。 さらに工場に自律権を与え、インセンティブ制度を導入し、生産を督励すれば、計画部門が順調に正常化すると、金正日を説得した。 新しくて果敢な論理だった。
いずれにしても生活必需品と言うより最低限度の食料も供給しないで、幾ら通貨を弄繰り回しても危険な混乱を招くだけで、計画経済での生産、流通、配給を取り戻せるはずがない。
この論評にもあるように、武装乞食軍団と農奴の食料の奪い合いの内乱が起きるかどうか見もの。
この通貨改変で、武装乞食軍団の統制が乱れて、韓国はより安全になったと言っても良いかも。
こんなことを書くと右翼や左翼に化けそこなった、在日朝鮮人がなんと言うか、これも楽しみの一つ。
>【中央時評】核より不安な北朝鮮の貨幣改革
関連タグ 中央時評核問題貨幣改革主体思想改善措置
3年喪に服した金正日(キム・ジョンイル)が朝鮮労働党総秘書に就任した1997年、北朝鮮経済は最悪の状況にあった。 ‘苦難の行軍’と名付けられたその時期、工場は止まり、配給も途絶えた。 住民は職場を離れ、食糧を求めてさまよい、山には松の木の皮さえ残っていなかった。 数十、数百万人が餓死したという。 中国の図們から見える恵山には芝もない墓がただ並んでいた。 地上の楽園といっていたが、阿鼻地獄だった。
主体思想の「自分の運命の主人は自分自身」という言葉が浮かんだ。 本当に信じられるのは自分だけだった。 国営商店は閑散としていたため自然な流れで市場が生まれた。 物価はどんどん上がり、商売をしなければ生きていけなくなった。 計画経済が根本から崩れていたのだ。 しかし経済を立て直すために開放・改革へ進むことはできなかった。 社会主義計画経済は絶対に放棄できなかった。 それは体制維持の基盤であり、金正日自身の権力の土台だったからだ。 このため、計画経済の正常化に政策方向が決定されたのは当然のことだった。
しかし問題は‘どのように’だった。 どうすれば計画部門の生産が正常に稼働し、問題なく供給でき、住民をまた工場に戻らせることができるのかが核心だった。 90年代末、その具体案をめぐり平壌(ピョンヤン)で激論が繰り広げられたはずだ。 「貨幣改革派」はすでにその当時、貨幣改革を取り上げていただろう。 貨幣改革を通して人為的に物価を引き下げ、市場をなくそうという論理だった。 そうすれば住民が計画部門に戻ってくるしかないと主張した。 「改善措置派」は、上昇した物価を現実として受け止めようとし、「貨幣改革派」の主張に反論したはずだ。 その代わり賃金を引き上げれば物価に対応できると主張した。 さらに工場に自律権を与え、インセンティブ制度を導入し、生産を督励すれば、計画部門が順調に正常化すると、金正日を説得した。 新しくて果敢な論理だった。
これは メッセージ 42584 (gogai3000 さん)への返信です.
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