Re: 脱亜論
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2006/12/21 02:50 投稿番号: [37955 / 44985]
あと数時間後には、おはようございます。
ついに『14才の母』を一度も見ることがなかった、丁髷アウト・オブ・デイトです。
深夜の刑法小噺・・・
【刑法177条】
法理論上、意思の合致があれば、13歳以上の女性とは関係が持てますが、13歳未満の女性には、同意能力がありません。すなわち、意思の合致があってもダメだということです。よく「12歳」とカミングアウトする、ビジネスガールもどきがいるようですが、これは強○経験アリと告白していることになります・・・。
ですから、テレビドラマ的に『12才の母』となれば、凄く問題があります。
ここから、本題です。
私はちょっと違った角度から。
以下は想像なんですが・・・、
福澤翁は、おそらく、イギリスなどにいいようにされていた清の姿を把握していたと思うのです。清といえば、当時の日本のインテリ層からしたら、やはり大国という印象があったとしても不思議はないと思うのですが、それが、ヨーロッパの国の前には為す術がない。このままでは、日本も呑みこまれてしまう。といったような憂国の念に駆られた危機感が当然にあったのではないかと推定します。
>従って脱亜論をアジア軽視、欧米追従と短絡的に捉えるのは幼稚だ。
というわけで、被支配の身分になるなら、いっそのこと、少々の無理は覚悟の上でも、列強。つまりは、欧州の近代資本主義に代表されるようなシステムを取り入れよう。そして日本、そして日本人にはそれを受け容れるだけの諸々の資質とか器の大きさー具体的に言えば、公衆道徳がしっかりしている。商業活動の自由度が高く、その意味で、欧州的な契約の概念を持ち合わせている。識字率が高い。妙なプライドの高さが無く柔軟性に富み勤勉・・・。などーがある。というのが、彼のエッセンスではなかったかと仮定します。
>したがって入欧に関しても、欧米と価値の共有が不可能ならば
入欧を促したりはしないでありましょう。
そして、幸運にも、英国との間にはロシアという共通の敵が存在したと。明治35年(1902年)の日英同盟は、有史上初めて、白色人種と有色人種との間で締結された同盟として記憶されるべきでありしょう。
因みに、福澤翁は「脱亜入欧」というフレーズは用いなかったようです・・・
(脱亜入欧)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E5%85%A5%E6%AC%A7
(脱亜論)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96
冒頭付近に戻りますが、彼を動かしたのは、憂国心から生まれた愛国心。いや、国を愛するが故、憂国の士となったのかな・・・。いずれにせよ、一見相反する二つの心理をバランス良く持っていた人物なのではないかと思います。
ま、福澤翁に限らず、当時の人々は、いい意味で「燃えていた」んですね。
やはり、適度な緊張状態にあった方が頭も冴えるのか・・・。
というわけで、
『愛国心は憂国の情によって担保される』
と定義づけておきます。
三島由紀夫の命日も『憂国忌』となっていますからね。
あ、関係ないか。
ついに『14才の母』を一度も見ることがなかった、丁髷アウト・オブ・デイトです。
深夜の刑法小噺・・・
【刑法177条】
法理論上、意思の合致があれば、13歳以上の女性とは関係が持てますが、13歳未満の女性には、同意能力がありません。すなわち、意思の合致があってもダメだということです。よく「12歳」とカミングアウトする、ビジネスガールもどきがいるようですが、これは強○経験アリと告白していることになります・・・。
ですから、テレビドラマ的に『12才の母』となれば、凄く問題があります。
ここから、本題です。
私はちょっと違った角度から。
以下は想像なんですが・・・、
福澤翁は、おそらく、イギリスなどにいいようにされていた清の姿を把握していたと思うのです。清といえば、当時の日本のインテリ層からしたら、やはり大国という印象があったとしても不思議はないと思うのですが、それが、ヨーロッパの国の前には為す術がない。このままでは、日本も呑みこまれてしまう。といったような憂国の念に駆られた危機感が当然にあったのではないかと推定します。
>従って脱亜論をアジア軽視、欧米追従と短絡的に捉えるのは幼稚だ。
というわけで、被支配の身分になるなら、いっそのこと、少々の無理は覚悟の上でも、列強。つまりは、欧州の近代資本主義に代表されるようなシステムを取り入れよう。そして日本、そして日本人にはそれを受け容れるだけの諸々の資質とか器の大きさー具体的に言えば、公衆道徳がしっかりしている。商業活動の自由度が高く、その意味で、欧州的な契約の概念を持ち合わせている。識字率が高い。妙なプライドの高さが無く柔軟性に富み勤勉・・・。などーがある。というのが、彼のエッセンスではなかったかと仮定します。
>したがって入欧に関しても、欧米と価値の共有が不可能ならば
入欧を促したりはしないでありましょう。
そして、幸運にも、英国との間にはロシアという共通の敵が存在したと。明治35年(1902年)の日英同盟は、有史上初めて、白色人種と有色人種との間で締結された同盟として記憶されるべきでありしょう。
因みに、福澤翁は「脱亜入欧」というフレーズは用いなかったようです・・・
(脱亜入欧)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E5%85%A5%E6%AC%A7
(脱亜論)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96
冒頭付近に戻りますが、彼を動かしたのは、憂国心から生まれた愛国心。いや、国を愛するが故、憂国の士となったのかな・・・。いずれにせよ、一見相反する二つの心理をバランス良く持っていた人物なのではないかと思います。
ま、福澤翁に限らず、当時の人々は、いい意味で「燃えていた」んですね。
やはり、適度な緊張状態にあった方が頭も冴えるのか・・・。
というわけで、
『愛国心は憂国の情によって担保される』
と定義づけておきます。
三島由紀夫の命日も『憂国忌』となっていますからね。
あ、関係ないか。
これは メッセージ 37945 (randy_bara さん)への返信です.
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