>極端な結論
投稿者: kokusaikouhou 投稿日時: 2003/09/05 12:20 投稿番号: [3624 / 44985]
このトピ、流れが速すぎてすぐP師状態になっちまう・・・(^^;
>>国家に対するロイアリティーは1つしかない、と考えています。
>国家という平面のみで見ればそうじゃろう。しかし、国家と「良心」「宗教」「部族」などが対立する場合がある。「良心的兵役拒否」の問題などどう考えるべきだろう?
先ず「良心的兵役拒否」ですが、この言葉の使われ方が嫌いなもので・・つまり、「兵役を拒否するのが良心的である」という意味に変質しているように思われるからです。
さて、「良心的兵役拒否」を認めるためには、最低でも次の2つの条件をクリアする必要があると考えています。
1つ目は、戦争と同レベルの危険性のある、しかも国が必要とする仕事に従事することです。
良心的兵役拒否とは、乱暴に言えば例え国家のためでも人を殺すことを拒否するということで、自分の身を危険に晒すことを拒否するという意味では無い筈だからです。
ですから、例えばテロとその反撃が続くパレスチナやイラクで、国の命令に従って難民救助活動を行う義務を負う、等の条件をクリアする必要があると考えています。
2つ目は、自分やその家族を攻撃しようとする敵に対してであっても、自分が反撃しないだけではなく、第3者が反撃することも拒否せよ、ということです。
理由の如何を問わず他人を殺傷しないのが自分の良心(宗教でもいいですが)であるといいながら、自分を守るためなら他人に他人を殺傷して貰う、というのは筋違いでしょうね。
無茶苦茶に厳しい条件だとは思いますが、「良心」に従った兵役拒否という以上、このくらいの厳しさは当然だと考えています。
「部族(「民族」と言い換えさせていただきますが)」と国家の関係については、以前に投稿した、第2次世界大戦中ハワイの日系人で構成された第100大隊、第 442歩兵戦闘部隊等の例が答えだと思います。
彼らは、「祖国はアメリカ、心は日本人」としての名誉と誇りとを持って戦い続けてきましたが、日系人部隊の真骨頂が示されたのが1944年10月のテキサス141部隊の救出作戦です。
強力なドイツ軍に包囲され孤立したテキサス141部隊を救出するため、日系人部隊は凄まじい死闘を繰り返し、漸くドイツ軍を打ち破ったときには、死傷率97%、無傷で立てる者はわずか10数人だったといわれています。
このとき救出されたテキサス部隊の兵士は語っています。「君たちこそ本当のアメリカ人だ」と・・
そして1946年7月15日、第442歩兵戦闘部隊はホワイトハウスでトルーマン大統領の接見を受けましたが、そのとき大統領は「君たちは敵と戦っただけでなく、人種差別とも戦った。そして勝ったのだ」と語っています。
私は同じ「日本民族」として、「敵国人」であった彼らを尊敬し誇りに思っています。
>>やはりある社会の成員として受入れら得るか否かは、最終的には「有事」に際しその社会に対し忠誠を誓うかどうかで決まるのでは、と考えています。
>わしは「あれか、これか」といった忠誠は問わない。戦闘行為に加われば当然、戦時法によって扱われることになるが、個人の内面にまで踏み込むべきではないと考える。
今回のイラク戦争に出征したアメリカ軍将校が、インタビューに答えて「個人的にはこの戦争に反対だが、アメリカ軍人である以上命令に従って全力を尽くす」と答えていた場面がありましたが、このアメリカ軍将校の覚悟がなごやん弐式殿に対する最良の回答だと思っています。
・・・ところで殿、お召し物が変わられたようですな(^^;
>>国家に対するロイアリティーは1つしかない、と考えています。
>国家という平面のみで見ればそうじゃろう。しかし、国家と「良心」「宗教」「部族」などが対立する場合がある。「良心的兵役拒否」の問題などどう考えるべきだろう?
先ず「良心的兵役拒否」ですが、この言葉の使われ方が嫌いなもので・・つまり、「兵役を拒否するのが良心的である」という意味に変質しているように思われるからです。
さて、「良心的兵役拒否」を認めるためには、最低でも次の2つの条件をクリアする必要があると考えています。
1つ目は、戦争と同レベルの危険性のある、しかも国が必要とする仕事に従事することです。
良心的兵役拒否とは、乱暴に言えば例え国家のためでも人を殺すことを拒否するということで、自分の身を危険に晒すことを拒否するという意味では無い筈だからです。
ですから、例えばテロとその反撃が続くパレスチナやイラクで、国の命令に従って難民救助活動を行う義務を負う、等の条件をクリアする必要があると考えています。
2つ目は、自分やその家族を攻撃しようとする敵に対してであっても、自分が反撃しないだけではなく、第3者が反撃することも拒否せよ、ということです。
理由の如何を問わず他人を殺傷しないのが自分の良心(宗教でもいいですが)であるといいながら、自分を守るためなら他人に他人を殺傷して貰う、というのは筋違いでしょうね。
無茶苦茶に厳しい条件だとは思いますが、「良心」に従った兵役拒否という以上、このくらいの厳しさは当然だと考えています。
「部族(「民族」と言い換えさせていただきますが)」と国家の関係については、以前に投稿した、第2次世界大戦中ハワイの日系人で構成された第100大隊、第 442歩兵戦闘部隊等の例が答えだと思います。
彼らは、「祖国はアメリカ、心は日本人」としての名誉と誇りとを持って戦い続けてきましたが、日系人部隊の真骨頂が示されたのが1944年10月のテキサス141部隊の救出作戦です。
強力なドイツ軍に包囲され孤立したテキサス141部隊を救出するため、日系人部隊は凄まじい死闘を繰り返し、漸くドイツ軍を打ち破ったときには、死傷率97%、無傷で立てる者はわずか10数人だったといわれています。
このとき救出されたテキサス部隊の兵士は語っています。「君たちこそ本当のアメリカ人だ」と・・
そして1946年7月15日、第442歩兵戦闘部隊はホワイトハウスでトルーマン大統領の接見を受けましたが、そのとき大統領は「君たちは敵と戦っただけでなく、人種差別とも戦った。そして勝ったのだ」と語っています。
私は同じ「日本民族」として、「敵国人」であった彼らを尊敬し誇りに思っています。
>>やはりある社会の成員として受入れら得るか否かは、最終的には「有事」に際しその社会に対し忠誠を誓うかどうかで決まるのでは、と考えています。
>わしは「あれか、これか」といった忠誠は問わない。戦闘行為に加われば当然、戦時法によって扱われることになるが、個人の内面にまで踏み込むべきではないと考える。
今回のイラク戦争に出征したアメリカ軍将校が、インタビューに答えて「個人的にはこの戦争に反対だが、アメリカ軍人である以上命令に従って全力を尽くす」と答えていた場面がありましたが、このアメリカ軍将校の覚悟がなごやん弐式殿に対する最良の回答だと思っています。
・・・ところで殿、お召し物が変わられたようですな(^^;
これは メッセージ 3536 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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