ランディ薔薇さん【民族的特徴/全般的】
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2006/04/09 00:22 投稿番号: [35718 / 44985]
こんばんは。
ご無沙汰致しました。
>俺の友人が数ヶ月ぶりに無事発見されました。
>「俺はなにもねぇからな あとは死ぬだけだろ?」
お友だちは典型的な芸術家、もっと適格な言葉で言えば本来の意味での「芸人」でいらっしゃるようですね。
20年まえでしたらそういう「夜越しの銭は持たない」的な生きかたにうっとり憧れただろうと思えてなりません。今の私はもう、「器にあらず」というあきらめがついていますが。
それでも、そういう
>それらをいともあっさり全て捨ててしまえる奴がまた面白い。
というかたの紹介を今回の投稿のはじめにもって来られたのは
>「あいまい」「自信のなさ」の2つをキーワード
化することへのアンチテーゼをすでに差し出しておられるのでしょう? 私は引っかかりません。
>神道に於ける日本人の宗教観及び死生観から、他者の介入に対し非常な
脆弱性にて極端に受動的な精神を齎している事が、異物を受け入れやすく
する為の「あいまい」さ、と排除できない「自信のなさ」を独特の精神性
として感じているようです。
あくまでも私見ですが(当然ながら)豊田有恒氏の考察は底が浅いと判断します。氏もまた、いわゆる「自虐史観」の影響を遠いながらも受けておられるのでは?
氏が「あいまいさ」と分析しておられるものは逆を返せば柔軟性であり「自信のなさ」は独善に陥らない幅の広さ、と感じられます。(すべての日本人がその民族的特徴を正の方向に生かしているわけではないでしょうが。まあ、それはどの民族も同様でしょうし)
>外国人から時に極端な行動と映る日本人の行動原理も「あいまい」さと
「自信のなさ」によって支えられていたものが瓦解した結果でしょう。
外国人(特に西欧人)の行動原理の方がかたくなで硬直しているととらえることもできるでしょう。あらゆる物事に、
>絶対的「正義」
があると考える方が私的には気持ち悪いです。(もちろん、政治手法としてそれがあると考えている「フリ」をするのは大切なことだと思いますが)
とはいえ、
>これをそのまま国際社会に適用すれば日本はひとたまりも無い。
というご感想には残念ながら(理由は異なるかもしれませんが)賛成です。なんと言っても、自分たちに「正義がある」とゴリ押しするのは世界各国の外交の常道ですから(それをどうやって表現するかの差はあるにしろ)最初から日本人的に「柔軟」かつ「独善に陥らないで幅広く」なんてやっていたら、それこそ日本は国際情勢のなかでいい餌食にされてしまいます。
国際情勢に臨む上で、現在までの日本人の最大の失敗は最終的な落しどころにするべきことを最初の入り口にしてしまいがちなことではないのかという気がしています。そのことにうまく「気付け」ば日本人の外交術は格段の進歩を遂げると思うのですがねぇ。
>日本のウヨクもサヨクも思想信条の違いがあれど、結局は自らの
受動的スタンスによって外国を受け入れているんだな。
政治的立場というものはいつだって他者あっての照り返しとしての「自分」ですからね。本来の意味からいけば、自分の心のなかではだれもが自分のことを「中道」だと思っているのが一番正常で健全なのでしょう。
外国をどう受け入れるのか。
これは、長い年月をかけていろいろな接触(リアルな意味でなくても、書物なり、雑誌なり、それこそブログや掲示板なりを通じてでも)を経ていく過程でなんども再修正していかざるを得ないでしょう。個人、としては。
国政を担う人々はその折々の「情勢」に機敏に反応しなければならないのはもちろんです。その「機敏さ」を今までの日本の外交当局者が欠きがちであったことに対しては、彼らを輩出してきた国民の1人として自覚し反省もせざるを得ないと思っています。
さて、今回の主旨はランディ薔薇氏の水準に合格しましたか?
それではおやすみなさい。
ご無沙汰致しました。
>俺の友人が数ヶ月ぶりに無事発見されました。
>「俺はなにもねぇからな あとは死ぬだけだろ?」
お友だちは典型的な芸術家、もっと適格な言葉で言えば本来の意味での「芸人」でいらっしゃるようですね。
20年まえでしたらそういう「夜越しの銭は持たない」的な生きかたにうっとり憧れただろうと思えてなりません。今の私はもう、「器にあらず」というあきらめがついていますが。
それでも、そういう
>それらをいともあっさり全て捨ててしまえる奴がまた面白い。
というかたの紹介を今回の投稿のはじめにもって来られたのは
>「あいまい」「自信のなさ」の2つをキーワード
化することへのアンチテーゼをすでに差し出しておられるのでしょう? 私は引っかかりません。
>神道に於ける日本人の宗教観及び死生観から、他者の介入に対し非常な
脆弱性にて極端に受動的な精神を齎している事が、異物を受け入れやすく
する為の「あいまい」さ、と排除できない「自信のなさ」を独特の精神性
として感じているようです。
あくまでも私見ですが(当然ながら)豊田有恒氏の考察は底が浅いと判断します。氏もまた、いわゆる「自虐史観」の影響を遠いながらも受けておられるのでは?
氏が「あいまいさ」と分析しておられるものは逆を返せば柔軟性であり「自信のなさ」は独善に陥らない幅の広さ、と感じられます。(すべての日本人がその民族的特徴を正の方向に生かしているわけではないでしょうが。まあ、それはどの民族も同様でしょうし)
>外国人から時に極端な行動と映る日本人の行動原理も「あいまい」さと
「自信のなさ」によって支えられていたものが瓦解した結果でしょう。
外国人(特に西欧人)の行動原理の方がかたくなで硬直しているととらえることもできるでしょう。あらゆる物事に、
>絶対的「正義」
があると考える方が私的には気持ち悪いです。(もちろん、政治手法としてそれがあると考えている「フリ」をするのは大切なことだと思いますが)
とはいえ、
>これをそのまま国際社会に適用すれば日本はひとたまりも無い。
というご感想には残念ながら(理由は異なるかもしれませんが)賛成です。なんと言っても、自分たちに「正義がある」とゴリ押しするのは世界各国の外交の常道ですから(それをどうやって表現するかの差はあるにしろ)最初から日本人的に「柔軟」かつ「独善に陥らないで幅広く」なんてやっていたら、それこそ日本は国際情勢のなかでいい餌食にされてしまいます。
国際情勢に臨む上で、現在までの日本人の最大の失敗は最終的な落しどころにするべきことを最初の入り口にしてしまいがちなことではないのかという気がしています。そのことにうまく「気付け」ば日本人の外交術は格段の進歩を遂げると思うのですがねぇ。
>日本のウヨクもサヨクも思想信条の違いがあれど、結局は自らの
受動的スタンスによって外国を受け入れているんだな。
政治的立場というものはいつだって他者あっての照り返しとしての「自分」ですからね。本来の意味からいけば、自分の心のなかではだれもが自分のことを「中道」だと思っているのが一番正常で健全なのでしょう。
外国をどう受け入れるのか。
これは、長い年月をかけていろいろな接触(リアルな意味でなくても、書物なり、雑誌なり、それこそブログや掲示板なりを通じてでも)を経ていく過程でなんども再修正していかざるを得ないでしょう。個人、としては。
国政を担う人々はその折々の「情勢」に機敏に反応しなければならないのはもちろんです。その「機敏さ」を今までの日本の外交当局者が欠きがちであったことに対しては、彼らを輩出してきた国民の1人として自覚し反省もせざるを得ないと思っています。
さて、今回の主旨はランディ薔薇氏の水準に合格しましたか?
それではおやすみなさい。
これは メッセージ 35690 (randy_bara さん)への返信です.
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