Re: 北朝鮮
投稿者: llmari2005 投稿日時: 2006/02/13 16:43 投稿番号: [35322 / 44985]
数日前、45歳になる妹の携帯電話のストラップの中からひとつのキーホルダーを見つけた。「仕事一筋」と
書いてあった。どうやら、朝高時代の古い友人からもらった物らしい。私は思わず、妹そのもの! と思った。
妹は、20歳の長男を筆頭に3児のオモニ。今春、末っ子の次男がやっと高級部生徒となる。子育ては
ひと段落したとも言えよう。
夫の強い要求を汲んで、子どもたちは3人とも日本の幼稚園、日本の小学校…へと通わせていた。
そんな妹もさかのぼること10年、う余曲折を経て、女手ひとつで3人の子どもを養うことになる。稼ぐアボジ
役と育てるオモニ役を両立するのは並大抵ではなかった。必然的に長男も中学生になるから…という気持ちが
「仕事一筋」となっていき、早朝出勤、深夜帰宅の生活の中、子どもとの距離はどんどん離れていく。仕事と
子育てを同時進行させつつも、その比重は仕事へと傾いていった。
長男が中学3年生の頃から子どもたちは順に手を焼くようになり、重なる「呼び出し」も日常茶飯事。ついに
末っ子の中学1年生の次男までも低年齢にもかかわらず、良くない仲間たちと集っては無断欠席、深夜行動を
繰り返すようになっていた。
それを叱る母親とはいたちごっこのような日々が続いていた。
そんなある日、私はどんどん道が反れる中1の甥っ子を、私の子どもが通う愛知中高へ無理矢理に連れて
行った。
いやいや進む甥っ子の足は重く、校内を案内する教務主任先生の会話も上の空。(何でこんなところに
連れて来られたんだろう?)と言わんばかりの表情だった。
早朝に夕飯を作り置きしておいて、減り具合で食事の確認をする毎日。毎晩、会話にならない会話とすれ違う
心中。いっそう、仕事なんて辞めて、子どもとしっかり向き合わねば…! と何度も思い悩み、苦しむけれど、
答えは出ないまま妹は精神的にも限界状態に達していた。そして、追い討ちをかけるように中1の甥っ子が
バイク事故を起こした。
駆けつけたときにはとても元に戻れるような状態とは思えず、ただ祈るばかりの私たちだった。
一命は取り止めたものの、腫れた顔と開かない口からは何も食べれない、しゃべれない。闘病生活が1カ月
あまり続いた。
妹の生活リズムは、自宅にいる2人の子どもと病院にいる次男との2重生活へと変わった。家事は消灯
時間後と早朝の時間帯、病院からの出勤もひん繁だった。
甥っ子の状態が少しずつ回復し、意思表示ができるようになったある朝、仕事に向かう母親を見て息子は、
「オモニ、今日も仕事? 行かないで!…」と声を絞る。目にはあふれんばかりの涙。まだまだ甘えん坊の
13歳の息子。
言うまでもなく、妹は、開かない口にスプーンでおかゆを、ジュースを飲ませてあげたい。息子の手となり、
足となり世話をしたい…と思いながらも、定時になると後ろ髪を引かれるような思いで病室をあとにする。息子に
見られぬよう、気づかれぬよう、流れる涙をエレベーターに乗るまでぬぐわない。後ろを振り向かない。
続く
書いてあった。どうやら、朝高時代の古い友人からもらった物らしい。私は思わず、妹そのもの! と思った。
妹は、20歳の長男を筆頭に3児のオモニ。今春、末っ子の次男がやっと高級部生徒となる。子育ては
ひと段落したとも言えよう。
夫の強い要求を汲んで、子どもたちは3人とも日本の幼稚園、日本の小学校…へと通わせていた。
そんな妹もさかのぼること10年、う余曲折を経て、女手ひとつで3人の子どもを養うことになる。稼ぐアボジ
役と育てるオモニ役を両立するのは並大抵ではなかった。必然的に長男も中学生になるから…という気持ちが
「仕事一筋」となっていき、早朝出勤、深夜帰宅の生活の中、子どもとの距離はどんどん離れていく。仕事と
子育てを同時進行させつつも、その比重は仕事へと傾いていった。
長男が中学3年生の頃から子どもたちは順に手を焼くようになり、重なる「呼び出し」も日常茶飯事。ついに
末っ子の中学1年生の次男までも低年齢にもかかわらず、良くない仲間たちと集っては無断欠席、深夜行動を
繰り返すようになっていた。
それを叱る母親とはいたちごっこのような日々が続いていた。
そんなある日、私はどんどん道が反れる中1の甥っ子を、私の子どもが通う愛知中高へ無理矢理に連れて
行った。
いやいや進む甥っ子の足は重く、校内を案内する教務主任先生の会話も上の空。(何でこんなところに
連れて来られたんだろう?)と言わんばかりの表情だった。
早朝に夕飯を作り置きしておいて、減り具合で食事の確認をする毎日。毎晩、会話にならない会話とすれ違う
心中。いっそう、仕事なんて辞めて、子どもとしっかり向き合わねば…! と何度も思い悩み、苦しむけれど、
答えは出ないまま妹は精神的にも限界状態に達していた。そして、追い討ちをかけるように中1の甥っ子が
バイク事故を起こした。
駆けつけたときにはとても元に戻れるような状態とは思えず、ただ祈るばかりの私たちだった。
一命は取り止めたものの、腫れた顔と開かない口からは何も食べれない、しゃべれない。闘病生活が1カ月
あまり続いた。
妹の生活リズムは、自宅にいる2人の子どもと病院にいる次男との2重生活へと変わった。家事は消灯
時間後と早朝の時間帯、病院からの出勤もひん繁だった。
甥っ子の状態が少しずつ回復し、意思表示ができるようになったある朝、仕事に向かう母親を見て息子は、
「オモニ、今日も仕事? 行かないで!…」と声を絞る。目にはあふれんばかりの涙。まだまだ甘えん坊の
13歳の息子。
言うまでもなく、妹は、開かない口にスプーンでおかゆを、ジュースを飲ませてあげたい。息子の手となり、
足となり世話をしたい…と思いながらも、定時になると後ろ髪を引かれるような思いで病室をあとにする。息子に
見られぬよう、気づかれぬよう、流れる涙をエレベーターに乗るまでぬぐわない。後ろを振り向かない。
続く
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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