北朝鮮

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李方子妃(1)【参考資料】

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2005/07/17 10:41 投稿番号: [32722 / 44985]
  私リラが李方子妃について知ることを列挙しておきます。

・関東大震災の折の朝鮮人虐殺事件に関しては、(その正確な数に付いては最近意外に少なかったのではないか、という説が出ているものの)、方子妃は夫君と同じく心痛の1週間を過ごされた。ご夫妻も、わざわざ宮城に避難された。

・華族社会の社交場では、方子妃にも聞こえるところで朝鮮人への悪口を言う人がいた。いわんや、夫君の垠殿下にはもっと多くの悪口が聞こえよがしに注がれていたであろう。それには、戦前、夫妻が財産的に非常に恵まれていたことへのやっかみがあったと思われる。

・戦後の夫妻の財政的困窮の第一原因はGHQにある。マッカーサーの指令で、皇族関係者は70〜80%の財産税を納めなければならなかった。天皇家も、認定された財産税に相当するものを物納された。

・それに拍車をかけたのは大韓民国第1代大統領李承晩である。彼は、夫妻の私財に対して、それを韓国の国有財産であるから引き渡せと要求した。
  また、夫妻の子息玖氏が海外留学するときもパスポートを発行しようとせず、結局GHQの計らいで玖氏はアメリカに出発できた。

・李承晩は、夫妻の韓国帰国に対しても冷たくあしらうのみであった。逆に連合軍側は夫妻に好意的で、さまざまな生活物資を届けるなどした。

・玖氏のパスポート更新は韓国政府に一方的に拒否された。それに対し、玖氏に永住権をアメリカは与えた。

・韓国の駐日代表部は、本来夫妻の私財である李王家東京邸を明け渡せと要求しつづけ、結局、金銭的に苦しい財政のために夫妻はそれを韓国政府に売却。前金は支払われたが、残り半分はナシのつぶてで終わった。
  見兼ねた、自民党の野田卯一郎議員、吉田茂首相、もと朝鮮総督府財務局長水田氏、田中武雄氏、君島一郎氏らが支援した。

・夫妻は、子息玖氏のマサチューセッツ工科大学卒業に出席するためパスポート発行を申請したが、またも韓国駐日代表部は拒否。それを宮内庁長官であった宇佐美氏が外務省に働きかけ、ようやくパスポートは発行された。

・大映映画社長永田雅一氏からの援助により、夫妻と玖氏とのアメリカ滞在中の費用は賄われた。

・アメリカ滞在中に脳血栓を起こし療養中だった垠氏と方子女史のもとに、クーデターで政権を把握した朴氏からの連絡が入った。朴(当時議長)は夫妻の財政的援助を開始した。

・夫妻の財政の苦境、垠氏の重病を知った朴氏は、「もし、日本でお亡くなりにでもなったら民族の恥になる」と入院費一切を配慮した。そして、来日の際は垠氏に見舞いの花束を届け、お礼に出むいた方子女史に帰国を願う申し出を自ら行った。

・帰国の宴を方子女史はホテル・ニュージャパンで開いたが、夫君はすでに出席できない状態だった。

・昭和天皇ご夫妻も送別の宴を催された。

・夫妻の帰国には、故高松宮か三笠宮がお見送りするべきとの声も高かったが、韓国とは今だ国交がないため不可能と宮内庁、外務省から拒否された。

・しかし、方子女史の母伊都子氏の日記によると、帰国に際しては、パトカーの警護付きで垠氏を乗せた寝台車が羽田にむかい、韓国からの迎えの医師、日本人の看護婦2人が付き添い、秩父宮妃らが飛行機の下まで見送ったという。

・垠殿下の病室で金婚式のミサが行われ、その後祝宴が開かれた。その司会を務めたのは、3・1運動に関わり投獄された経験を持つ金牧師だった。(なお、夫妻の銀婚式は1945年宮城で行われ、昭和天皇ご夫妻をはじめ皇族全員が出席された。灯火管制の敷かれた暗い部屋でのことで、出席者の衣裳もモンペ姿、防空頭巾持参だった)

・李垠殿下は、帰国後6年6ヶ月後に意識を取り戻さないまま死去した。
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