ナハさん(拝読&レス懇願)2【重要】
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2005/02/15 15:41 投稿番号: [29388 / 44985]
2について。
>私はその人の国民としての自己認識は3つでワンセットではないかと思う。
1・国籍
2・依存する生活環境
3・国家に対する帰属意識
「国民としての自己意識」であるならば、以上はその通りだろうと思います。ですが、ナハさんは、
>要はゴーガイさんは気づいているがアイデンティティの捩れとも言える。
と、「アイデンティティ」という言葉を使っておられますね。ここに、私はナハさんの無意識の飛躍を感じます。
私たちは、24時間365日、自分が日本人であるという帰属意識に支えられているのではないと確信しています。
たとえば私の場合、まずは、平成版の妻、というもっとも確たるアイデンティティがあります。次に某県〜某町○○○○……という住所に住んでいることから来る、自治体への帰属があって自治会へ義務もあるというアイデンティティもあります。また、被爆地△△の出身であるというアイデンティティもあります。さらに、ある哲学の市民ゼミに属しているなどなどの習いごと集団への帰属意識もあります。最後に、かつてライター仕事をさせてもらい今も微かな繋がりを持つ会社への感情もあります。これらは皆、私のアイデンティティです。
それは、ずっと底まで下りていけば、結局はこの、経済大国でまだかなりの程度治安も良い日本国民であるという国家への帰属意識やアンデンティティに繋がるはずです。その点では、ナハさんがおっしゃっていることは自分として理解しているつもりです。
ですが、やはり24時間364日、これらの個々のアイデンティティを「日本国民であるありがたさ」へと結び付けているわけではありません。
国民としてのアイデンティティという大概念のまえに、もっと身近な、ささやかなアイデンティティがあるのです。
そして、その「もっと身近で、ささやかなアイデンティティ」は、市井の在日の人々にもあります。それらは、「日本国民であるありがたさ」ではなくても、「日本国住民であるありがたさ」だと自覚しておられるかたも大勢おられると判断しています。
そうすれば、
>万景峰号を喜び、将軍を敬愛し、祖国の富国強兵を切望する。
おそらく核武装宣言は痛快感すら抱くはずです。
自らの祖国が世界列強と互して一歩も引かないのですから。
朝鮮人の誇りここにありという事です。
拉致事件についても同様で、同情はするが自分たちの祖国に対する60年前の日本のあり方を教育されているわけですから、それをもって祖国を否定したりは絶対にしない。
また祖国の窮状についても信じてないか、あるいは我々日本人のせいと考えていることでしょう。
誇りを持たずしてアイデンティティを維持するなど不可能ですから。
というのは、私には一方的な決め付けに思えてしかたがありません。
3について。
私は冒頭近くで、
>サンデーさんという、リラという、ダレさんという「個人」がいないから。
と書きました。ほかのお2人のことは置きましょう。
実際には、1箇所だけ、リラという個人について触れておられますね。(私はそう感じました)
>一緒に生活していても男と女が違うように、別のモノなのですから。それは溝とは言いません。
これですね。
>それは溝とは言いません。
これは、不完全なおっしゃりようだと思います。正確には、「それは『日本人としての』溝とは言いません。」だと考えます。
たしかにそうです。
私と平成版(主人)のあいだに、日本人としての溝は幸いにしてありません。
しかし、それは、双方にアイデンティティや帰属意識の溝がない、ということとイコールではないのです。
先に差し上げた投稿のなかで、私は私たちのあいだにある、ある種の県民性上の文化的溝について申し上げました。これを、
>一緒に生活していても男と女が違う
>それは溝とは言いません。
とは、少なくとも当事者である私にはそうとは思えないのです。
特に、郷里から遠くはなれた関東の地で、すぐ身近に頼るべき親類もいない状態で暮らす私にとっては。
さて、リラという個人に付いてはこれ以上くどくど申し上げる必要はないでしょう。
長文になり申し訳ありませんが、もう1度投稿を改めます。
>私はその人の国民としての自己認識は3つでワンセットではないかと思う。
1・国籍
2・依存する生活環境
3・国家に対する帰属意識
「国民としての自己意識」であるならば、以上はその通りだろうと思います。ですが、ナハさんは、
>要はゴーガイさんは気づいているがアイデンティティの捩れとも言える。
と、「アイデンティティ」という言葉を使っておられますね。ここに、私はナハさんの無意識の飛躍を感じます。
私たちは、24時間365日、自分が日本人であるという帰属意識に支えられているのではないと確信しています。
たとえば私の場合、まずは、平成版の妻、というもっとも確たるアイデンティティがあります。次に某県〜某町○○○○……という住所に住んでいることから来る、自治体への帰属があって自治会へ義務もあるというアイデンティティもあります。また、被爆地△△の出身であるというアイデンティティもあります。さらに、ある哲学の市民ゼミに属しているなどなどの習いごと集団への帰属意識もあります。最後に、かつてライター仕事をさせてもらい今も微かな繋がりを持つ会社への感情もあります。これらは皆、私のアイデンティティです。
それは、ずっと底まで下りていけば、結局はこの、経済大国でまだかなりの程度治安も良い日本国民であるという国家への帰属意識やアンデンティティに繋がるはずです。その点では、ナハさんがおっしゃっていることは自分として理解しているつもりです。
ですが、やはり24時間364日、これらの個々のアイデンティティを「日本国民であるありがたさ」へと結び付けているわけではありません。
国民としてのアイデンティティという大概念のまえに、もっと身近な、ささやかなアイデンティティがあるのです。
そして、その「もっと身近で、ささやかなアイデンティティ」は、市井の在日の人々にもあります。それらは、「日本国民であるありがたさ」ではなくても、「日本国住民であるありがたさ」だと自覚しておられるかたも大勢おられると判断しています。
そうすれば、
>万景峰号を喜び、将軍を敬愛し、祖国の富国強兵を切望する。
おそらく核武装宣言は痛快感すら抱くはずです。
自らの祖国が世界列強と互して一歩も引かないのですから。
朝鮮人の誇りここにありという事です。
拉致事件についても同様で、同情はするが自分たちの祖国に対する60年前の日本のあり方を教育されているわけですから、それをもって祖国を否定したりは絶対にしない。
また祖国の窮状についても信じてないか、あるいは我々日本人のせいと考えていることでしょう。
誇りを持たずしてアイデンティティを維持するなど不可能ですから。
というのは、私には一方的な決め付けに思えてしかたがありません。
3について。
私は冒頭近くで、
>サンデーさんという、リラという、ダレさんという「個人」がいないから。
と書きました。ほかのお2人のことは置きましょう。
実際には、1箇所だけ、リラという個人について触れておられますね。(私はそう感じました)
>一緒に生活していても男と女が違うように、別のモノなのですから。それは溝とは言いません。
これですね。
>それは溝とは言いません。
これは、不完全なおっしゃりようだと思います。正確には、「それは『日本人としての』溝とは言いません。」だと考えます。
たしかにそうです。
私と平成版(主人)のあいだに、日本人としての溝は幸いにしてありません。
しかし、それは、双方にアイデンティティや帰属意識の溝がない、ということとイコールではないのです。
先に差し上げた投稿のなかで、私は私たちのあいだにある、ある種の県民性上の文化的溝について申し上げました。これを、
>一緒に生活していても男と女が違う
>それは溝とは言いません。
とは、少なくとも当事者である私にはそうとは思えないのです。
特に、郷里から遠くはなれた関東の地で、すぐ身近に頼るべき親類もいない状態で暮らす私にとっては。
さて、リラという個人に付いてはこれ以上くどくど申し上げる必要はないでしょう。
長文になり申し訳ありませんが、もう1度投稿を改めます。
これは メッセージ 29387 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
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