ヒューマンさん(1)【トピズレ多し】
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2005/02/12 02:00 投稿番号: [29180 / 44985]
こんばんは。
昨々晩はコムタンさんへレスしたところで力尽き、せっかくお返事くれたのにごめんなさいデシタ。
いやぁ、今回のレスは勉強になりましたねぇ。やっぱヒューマンさんは私の教養担当重役やわ。
>元はフェニキアクスという名前でした。
まんまフェニキアの守護神です。
私はてっきり、フェニキアの守護神は女神のタニト(だったよね?)だと思っていました。
怪神ダゴンにカルタゴ人が人身御供を捧げていたという伝説は、かなり眉唾だとは知っていたけど。フローベルの『サランボー』なんかかなり詳細に書いてますけどね。
フェニキアクスが不死鳥フェニックスになり、それが東洋の四聖獣の朱雀と結び付けられる。そのへんは、東西文化の交流というか、人間の発想の同質性を感じるのですけどね。
>ユダヤもだけど、他宗排斥となると容赦ないよなあ・・・
>実際、紆余曲折を経て作られたキリスト教から、啓蒙思想が生まれたことは認めますが、何も他宗教を潰さなくても出来た気がするしなあ。
『モーゼと一神教』というフロイトの著作で、なぜモーゼはヤハウェを諸神の主神ではなく唯一無二の神にしたのだろう? って問いかけているんですよ。フロイトは答えを出していないし、私もそこが非常に疑問で答えが出せないのです。
ただ、「唯一性」「精神性」の純粋さを求めれば求めるほど、パスカルが言うような「人は信仰心がもっとも高まっているとき、もっとも残酷なことができる」(文言不正確)っていう事態になる気がする。
だから私は、「純粋さ」や「理想の高さ」ってものが正直恐い。キリスト教徒があそこまで残酷なことができた背景には「純粋さ」への飽くなき追求があったから、という気がします。つまり、善意が昂じてなんとやら、ですね。その「善意」や「理想」よりももっと大切なのは「寛容な心」だ、と持ってきたのが啓蒙思想じゃないんですか?
他教を潰せるだけ潰したからこそ、「理想」「善意」「純粋」「穢れなき信仰」ってものの恐ろしさを思い知らされたという感じです。その点、ムハンマドは、「精神」の純粋さなんてはじめから信用していなかったよーな。だからこそ、「精神」ではなく「行為」で神への帰依を表せばいいとクルーアンに詳細に規定したんじゃないかなぁ。そのムハンマドの英知を今のビン・ラーディンたちは踏みにじって、逆にかつてのキリスト教徒たちの「精神性」への固執と同型に陥っているような気がします。
それに、「精神性」「純粋性」への固執という点では、まさに共産主義というキリスト教の鬼子もありますからね、いまだに。
>神の定義が、「天上から温かく見守り、信仰するものには祝福を、しないものには天罰を」ってものだったら、「同じ目線で人の発展を見守り、全てのものにささやかな祝福を」っていう地母神はジャマ以外の何者でもないですしね。
信賞必罰が成り立たない地母神信仰は、一神教や精神主義重視の宗教では邪魔でしかないのね。はう。←溜息。
申し訳ない。
つづく。
昨々晩はコムタンさんへレスしたところで力尽き、せっかくお返事くれたのにごめんなさいデシタ。
いやぁ、今回のレスは勉強になりましたねぇ。やっぱヒューマンさんは私の教養担当重役やわ。
>元はフェニキアクスという名前でした。
まんまフェニキアの守護神です。
私はてっきり、フェニキアの守護神は女神のタニト(だったよね?)だと思っていました。
怪神ダゴンにカルタゴ人が人身御供を捧げていたという伝説は、かなり眉唾だとは知っていたけど。フローベルの『サランボー』なんかかなり詳細に書いてますけどね。
フェニキアクスが不死鳥フェニックスになり、それが東洋の四聖獣の朱雀と結び付けられる。そのへんは、東西文化の交流というか、人間の発想の同質性を感じるのですけどね。
>ユダヤもだけど、他宗排斥となると容赦ないよなあ・・・
>実際、紆余曲折を経て作られたキリスト教から、啓蒙思想が生まれたことは認めますが、何も他宗教を潰さなくても出来た気がするしなあ。
『モーゼと一神教』というフロイトの著作で、なぜモーゼはヤハウェを諸神の主神ではなく唯一無二の神にしたのだろう? って問いかけているんですよ。フロイトは答えを出していないし、私もそこが非常に疑問で答えが出せないのです。
ただ、「唯一性」「精神性」の純粋さを求めれば求めるほど、パスカルが言うような「人は信仰心がもっとも高まっているとき、もっとも残酷なことができる」(文言不正確)っていう事態になる気がする。
だから私は、「純粋さ」や「理想の高さ」ってものが正直恐い。キリスト教徒があそこまで残酷なことができた背景には「純粋さ」への飽くなき追求があったから、という気がします。つまり、善意が昂じてなんとやら、ですね。その「善意」や「理想」よりももっと大切なのは「寛容な心」だ、と持ってきたのが啓蒙思想じゃないんですか?
他教を潰せるだけ潰したからこそ、「理想」「善意」「純粋」「穢れなき信仰」ってものの恐ろしさを思い知らされたという感じです。その点、ムハンマドは、「精神」の純粋さなんてはじめから信用していなかったよーな。だからこそ、「精神」ではなく「行為」で神への帰依を表せばいいとクルーアンに詳細に規定したんじゃないかなぁ。そのムハンマドの英知を今のビン・ラーディンたちは踏みにじって、逆にかつてのキリスト教徒たちの「精神性」への固執と同型に陥っているような気がします。
それに、「精神性」「純粋性」への固執という点では、まさに共産主義というキリスト教の鬼子もありますからね、いまだに。
>神の定義が、「天上から温かく見守り、信仰するものには祝福を、しないものには天罰を」ってものだったら、「同じ目線で人の発展を見守り、全てのものにささやかな祝福を」っていう地母神はジャマ以外の何者でもないですしね。
信賞必罰が成り立たない地母神信仰は、一神教や精神主義重視の宗教では邪魔でしかないのね。はう。←溜息。
申し訳ない。
つづく。
これは メッセージ 29098 (worst_human83 さん)への返信です.
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