国際公法参謀閣下【案外重要】
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2005/01/09 14:48 投稿番号: [27491 / 44985]
こんにちは。
>消えた答案用紙の再現でつww
ここまで力をこめた「答案」を提出してくださって、リラおよびclionomikoは大感激です。ありがとうございました。
>朝鮮半島では朝鮮総督府と朝鮮軍(朝鮮半島駐箚の日本軍。第19師団及び第20師団)の存在故にパルチザン活動等は殆ど不可能だったので
そもそも私が彼らのパルチザン活動とやらに疑問を抱いたのは、ゼロさんだったかaqualine20000jpさんだっがかが(ごめんなさい、ご両名)朝鮮半島には日本軍は2個師団しか居なかったと韓国トピに書いておられたので、それで治まる治安情勢下でのパルチザン活動って一体なにさ? というものだったのです。(師団って、最大でも2万人、国によっては数千人単位なのでしょう?)
やっぱり、
>え〜、朝鮮の自称・抗日パルチザンの活動夢物語は余り真に受けないほうが良いかと・・・
なのですね。
それにしても、ご紹介頂いたサイトを読みましたが、この種のサイトは、
>日帝の巧妙な弾圧と内部の理念対立によって
という言葉が好きですねぇ。つまり、「日帝の巧妙な弾圧と」は枕詞で、真相は、
>内部の理念対立によって
にあるんでしょうね。
>この間島5.30事件の結果、間島出兵を生き延びた朝鮮人共産主義者も殆ど壊滅し、残党は中国共産党に吸収されて満洲匪賊になり(「東北人民革命軍」、「東北抗日連合軍」)、更に極東ソ連軍の統制掌握下に置かれることになりました。
>このため、昭和10年頃には満洲匪賊討伐工作は、「あたかもソ連との前哨戦的内容を漸次具備しつつある」と評されるようになります。
このあたりの事情は、さすがに『パルチザン挽歌 金日成神話の崩壊』にも書いてあります。書かざるを得なかったのでしょう、金賛汀としても。
>パルチザンの類は大人数だと所在を隠匿するのが難しくなるし、兵站能力も低いですから、数十人単位というのは普通じゃないかと思います。
>それに匪賊・馬賊の類と思えば20名でも十分1部隊かとww
>上海から重慶に逃げた金九が韓国光復軍を作ったときも、当初は臨時政府ではなく国民党の支配下に置くことを要求されたそうですから、上海時代に蒋介石政府から独立した軍を持っていたとは思えないんですが・・
>ただ日本軍の討伐を受けてソ連まで逃げ武装解除された洪範図の大韓独立軍は、上海臨時政府の指揮下にあったとされているようです・・・
なるほど。
先のサイトで、
>三・一運動は中国、インドおよび中東地域においての反帝国主義民族運動の先駆的な運動でもあった。さらに民族独立運動を国内外の挙族的な抗争へと導き、より組織的で体系的な独立運動へと発展させていった。
って書きながら、そのまえには、
>国内の各地方に波及した三・一運動は、すぐさま外国に拡散した。満州吉林における独立宜言は国内よりも早い一九一九年二月に民族指導者三九人の名前で独立宣言書が発表されていたが、示威運動にまでには至らなかった。
って、これなにさ? 多いに矛盾してません?
あー、金九にも李承晩にも金日成にも、せめてホーチミンやチトーやケマル・アタチュルクの爪のアカでも煎じて飲んでほしい。(彼らにも多いに問題はあったでしょうが)
>この辺で力尽きたということで、ご勘弁くだされww
勘弁どころか、深い感謝を込めて、「オバタリアンのお目々キラキラ光線」を進呈申し上げます。(返品不可でございます、お気の毒さま)
再度ありがとうございました。
失礼致します。
>消えた答案用紙の再現でつww
ここまで力をこめた「答案」を提出してくださって、リラおよびclionomikoは大感激です。ありがとうございました。
>朝鮮半島では朝鮮総督府と朝鮮軍(朝鮮半島駐箚の日本軍。第19師団及び第20師団)の存在故にパルチザン活動等は殆ど不可能だったので
そもそも私が彼らのパルチザン活動とやらに疑問を抱いたのは、ゼロさんだったかaqualine20000jpさんだっがかが(ごめんなさい、ご両名)朝鮮半島には日本軍は2個師団しか居なかったと韓国トピに書いておられたので、それで治まる治安情勢下でのパルチザン活動って一体なにさ? というものだったのです。(師団って、最大でも2万人、国によっては数千人単位なのでしょう?)
やっぱり、
>え〜、朝鮮の自称・抗日パルチザンの活動夢物語は余り真に受けないほうが良いかと・・・
なのですね。
それにしても、ご紹介頂いたサイトを読みましたが、この種のサイトは、
>日帝の巧妙な弾圧と内部の理念対立によって
という言葉が好きですねぇ。つまり、「日帝の巧妙な弾圧と」は枕詞で、真相は、
>内部の理念対立によって
にあるんでしょうね。
>この間島5.30事件の結果、間島出兵を生き延びた朝鮮人共産主義者も殆ど壊滅し、残党は中国共産党に吸収されて満洲匪賊になり(「東北人民革命軍」、「東北抗日連合軍」)、更に極東ソ連軍の統制掌握下に置かれることになりました。
>このため、昭和10年頃には満洲匪賊討伐工作は、「あたかもソ連との前哨戦的内容を漸次具備しつつある」と評されるようになります。
このあたりの事情は、さすがに『パルチザン挽歌 金日成神話の崩壊』にも書いてあります。書かざるを得なかったのでしょう、金賛汀としても。
>パルチザンの類は大人数だと所在を隠匿するのが難しくなるし、兵站能力も低いですから、数十人単位というのは普通じゃないかと思います。
>それに匪賊・馬賊の類と思えば20名でも十分1部隊かとww
>上海から重慶に逃げた金九が韓国光復軍を作ったときも、当初は臨時政府ではなく国民党の支配下に置くことを要求されたそうですから、上海時代に蒋介石政府から独立した軍を持っていたとは思えないんですが・・
>ただ日本軍の討伐を受けてソ連まで逃げ武装解除された洪範図の大韓独立軍は、上海臨時政府の指揮下にあったとされているようです・・・
なるほど。
先のサイトで、
>三・一運動は中国、インドおよび中東地域においての反帝国主義民族運動の先駆的な運動でもあった。さらに民族独立運動を国内外の挙族的な抗争へと導き、より組織的で体系的な独立運動へと発展させていった。
って書きながら、そのまえには、
>国内の各地方に波及した三・一運動は、すぐさま外国に拡散した。満州吉林における独立宜言は国内よりも早い一九一九年二月に民族指導者三九人の名前で独立宣言書が発表されていたが、示威運動にまでには至らなかった。
って、これなにさ? 多いに矛盾してません?
あー、金九にも李承晩にも金日成にも、せめてホーチミンやチトーやケマル・アタチュルクの爪のアカでも煎じて飲んでほしい。(彼らにも多いに問題はあったでしょうが)
>この辺で力尽きたということで、ご勘弁くだされww
勘弁どころか、深い感謝を込めて、「オバタリアンのお目々キラキラ光線」を進呈申し上げます。(返品不可でございます、お気の毒さま)
再度ありがとうございました。
失礼致します。
これは メッセージ 27442 (kokusaikouhou666 さん)への返信です.
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