恋人さん
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/12/09 13:12 投稿番号: [25756 / 44985]
こんにちは。
>中世のキリスト者に対する見方は、殆ど異なりませんね。
私のほうは、かなり異なっているのではないかと思いますが。
なるほど、法王庁のワルドー派やペギーニ派に対する扱いは対極から見て失敗だったと思います。しかし、カタリ派に関しては、弾圧の残虐性に大きな抵抗を感じつつも、よくぞカソリック側が勝ってくれた、と思っておりますので。「この世は悪が創りしもの」などという根本思想を持った連中が世界の思想的中心を担うようになれば、どんな恐ろしい世の中が出現したか想像したくもありません。
>信者でない私はリラさんほどその中に突っ込んでの詳しさというものはありません。
私は、教会や日曜学校に通っているあいだ、一度も正確なキリスト教史(特に彼らがどんな残酷な行為をなしてきたか)を教えられたことはありません。それは、今までこつこつといろいろな文献を読み、自分自身で調べて得た知識です。
>それと誤解があるようですが、「朝鮮民族はまったく残酷な人々ですね」という文言は現在も以前も使った記憶がありません。
> 私が度々使用したのは「極悪非道の韓国・朝鮮人」とか「暴虐非道の韓国・朝鮮人」という言い方です。きつい表現にリラさんには見えるのかも知れませんが、私の頭の中では、上記の表現よりも優しいものだと思って使っています。
言葉遣いを注意して使用されている旨は理解しました。おそらく恋人さんのなかでは、後者のほうが
>優しいもの
として消化されておられるのでしょう。
ただ、赤の他人であり、第3者であるこの私には、それらの言葉遣いの意味合いの違いが残念ながら理解できません。
>韓国・朝鮮への見方は決して変わらぬどころか、益々厳しい視線を投げております。好意的な視線はとても有することはできません。
それは当然のことと思います。
現在の韓国政府自体は、自らの思惑で周辺諸国(特に日本やアメリカ)の神経を逆撫でし、その分中国に迎合しつつあり、日本人として警戒感を持つのは当然です。
ただこの私は、それが「一般的」もしくは「全ての」韓国人に当てはまる傾向だとは思っておりません。ですので、韓国人というものを一括りにして論じる風潮には今後も反論していくつもりです。
>私が中世キリスト者世界につき言及したのは、「人間の業」とか「原罪」というものは、歴史を経てもなお治癒されぬものなのか、そしてその「業」や「原罪」が今なお色々な方面に暗い影を落としているのかという感慨を持ったからのみです。
「原罪」という思想は、そもそもキリスト教独自のものです。人間は生まれながらにして弱く、罪を犯しやすいものである。いや、生れ落ちた瞬間から、(宗教的)罪と無縁であることはできない。
その考え方は、たとえばイスラムやヒンズー、あるいは仏教徒などから見れば、「そんな御託を並べるより先に、1個でも善行をなして功徳を積め」と言われるでしょう。それもまた、人間というものを見通したたしかな考えかただと思います。
ですがだからこそ、おそらく自分が生きてきた上でなしてきた罪の意識や後ろめたさを克服するには、とてつもない善行や功徳が必要なのではないか、と思っております。
人間という種の原罪や業は、未来永劫癒されるはずがありません。もし癒されるのだとしたら、それは御仏やアッラー、そして主なるキリストの父である神が、故人のレベルで、それこそカンダダに垂らされた蜘蛛の糸のように細い・しかし確かな慈悲を無償で与えられるのみ、と思っております。
失礼します。
>中世のキリスト者に対する見方は、殆ど異なりませんね。
私のほうは、かなり異なっているのではないかと思いますが。
なるほど、法王庁のワルドー派やペギーニ派に対する扱いは対極から見て失敗だったと思います。しかし、カタリ派に関しては、弾圧の残虐性に大きな抵抗を感じつつも、よくぞカソリック側が勝ってくれた、と思っておりますので。「この世は悪が創りしもの」などという根本思想を持った連中が世界の思想的中心を担うようになれば、どんな恐ろしい世の中が出現したか想像したくもありません。
>信者でない私はリラさんほどその中に突っ込んでの詳しさというものはありません。
私は、教会や日曜学校に通っているあいだ、一度も正確なキリスト教史(特に彼らがどんな残酷な行為をなしてきたか)を教えられたことはありません。それは、今までこつこつといろいろな文献を読み、自分自身で調べて得た知識です。
>それと誤解があるようですが、「朝鮮民族はまったく残酷な人々ですね」という文言は現在も以前も使った記憶がありません。
> 私が度々使用したのは「極悪非道の韓国・朝鮮人」とか「暴虐非道の韓国・朝鮮人」という言い方です。きつい表現にリラさんには見えるのかも知れませんが、私の頭の中では、上記の表現よりも優しいものだと思って使っています。
言葉遣いを注意して使用されている旨は理解しました。おそらく恋人さんのなかでは、後者のほうが
>優しいもの
として消化されておられるのでしょう。
ただ、赤の他人であり、第3者であるこの私には、それらの言葉遣いの意味合いの違いが残念ながら理解できません。
>韓国・朝鮮への見方は決して変わらぬどころか、益々厳しい視線を投げております。好意的な視線はとても有することはできません。
それは当然のことと思います。
現在の韓国政府自体は、自らの思惑で周辺諸国(特に日本やアメリカ)の神経を逆撫でし、その分中国に迎合しつつあり、日本人として警戒感を持つのは当然です。
ただこの私は、それが「一般的」もしくは「全ての」韓国人に当てはまる傾向だとは思っておりません。ですので、韓国人というものを一括りにして論じる風潮には今後も反論していくつもりです。
>私が中世キリスト者世界につき言及したのは、「人間の業」とか「原罪」というものは、歴史を経てもなお治癒されぬものなのか、そしてその「業」や「原罪」が今なお色々な方面に暗い影を落としているのかという感慨を持ったからのみです。
「原罪」という思想は、そもそもキリスト教独自のものです。人間は生まれながらにして弱く、罪を犯しやすいものである。いや、生れ落ちた瞬間から、(宗教的)罪と無縁であることはできない。
その考え方は、たとえばイスラムやヒンズー、あるいは仏教徒などから見れば、「そんな御託を並べるより先に、1個でも善行をなして功徳を積め」と言われるでしょう。それもまた、人間というものを見通したたしかな考えかただと思います。
ですがだからこそ、おそらく自分が生きてきた上でなしてきた罪の意識や後ろめたさを克服するには、とてつもない善行や功徳が必要なのではないか、と思っております。
人間という種の原罪や業は、未来永劫癒されるはずがありません。もし癒されるのだとしたら、それは御仏やアッラー、そして主なるキリストの父である神が、故人のレベルで、それこそカンダダに垂らされた蜘蛛の糸のように細い・しかし確かな慈悲を無償で与えられるのみ、と思っております。
失礼します。
これは メッセージ 25719 (koibitonoirumachikado さん)への返信です.
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