りらさんへ
投稿者: koibitonoirumachikado 投稿日時: 2004/12/08 19:18 投稿番号: [25719 / 44985]
中世のキリスト者に対する見方は、殆ど異なりませんね。
ただ、信者でない私はリラさんほどその中に突っ込んでの詳しさというものはありません。飽くまでも外野から見た詳しさで、限界はありますね。
それと誤解があるようですが、「朝鮮民族はまったく残酷な人々ですね」という文言は現在も以前も使った記憶がありません。
私が度々使用したのは「極悪非道の韓国・朝鮮人」とか「暴虐非道の韓国・朝鮮人」という言い方です。きつい表現にリラさんには見えるのかも知れませんが、私の頭の中では、上記の表現よりも優しいものだと思って使っています。
ただし、相手と同レベルで怒りを表現することが依存ということであれば、それを避けるために、この両表現も控えめにし、感情をあらわにはしないよう努めています。
しかし、韓国・朝鮮への見方は決して変わらぬどころか、益々厳しい視線を投げております。好意的な視線はとても有することはできません。最近の動きを見ていると、昔私が取り囲まれたときよりも、もっと状況は悪化しており、(表面的な現象を除外して)共生などとても見込める状況ではないと、個人的に思っています。
ただし、依存にならぬよう「嫌韓」から「叱韓」(叱責・・韓国)、「詰韓」(詰問、韓国)への転換を模索しています。
相手のレベルに合わせず、しかし「嫌韓」よりももっと厳しい視線を冷静かつ適格に浴びせようと思っています。私は韓国と朝鮮の2国が日本にとって最も危険で厄介な国だと思っています。その視点は全く変わりません。
なお、中世ヨーロッパ社会における大変に残酷なキリスト者たちと、韓国・朝鮮人を対比させるつもりは全くありません。当時と今とでは周りを取り囲む社会的状況が全く異なります。
私が中世キリスト者世界につき言及したのは、「人間の業」とか「原罪」というものは、歴史を経てもなお治癒されぬものなのか、そしてその「業」や「原罪」が今なお色々な方面に暗い影を落としているのかという感慨を持ったからのみです。
どちらがより残酷かどうかという視点ではありません。
以上、まとまらぬ乱文でした。
ただ、信者でない私はリラさんほどその中に突っ込んでの詳しさというものはありません。飽くまでも外野から見た詳しさで、限界はありますね。
それと誤解があるようですが、「朝鮮民族はまったく残酷な人々ですね」という文言は現在も以前も使った記憶がありません。
私が度々使用したのは「極悪非道の韓国・朝鮮人」とか「暴虐非道の韓国・朝鮮人」という言い方です。きつい表現にリラさんには見えるのかも知れませんが、私の頭の中では、上記の表現よりも優しいものだと思って使っています。
ただし、相手と同レベルで怒りを表現することが依存ということであれば、それを避けるために、この両表現も控えめにし、感情をあらわにはしないよう努めています。
しかし、韓国・朝鮮への見方は決して変わらぬどころか、益々厳しい視線を投げております。好意的な視線はとても有することはできません。最近の動きを見ていると、昔私が取り囲まれたときよりも、もっと状況は悪化しており、(表面的な現象を除外して)共生などとても見込める状況ではないと、個人的に思っています。
ただし、依存にならぬよう「嫌韓」から「叱韓」(叱責・・韓国)、「詰韓」(詰問、韓国)への転換を模索しています。
相手のレベルに合わせず、しかし「嫌韓」よりももっと厳しい視線を冷静かつ適格に浴びせようと思っています。私は韓国と朝鮮の2国が日本にとって最も危険で厄介な国だと思っています。その視点は全く変わりません。
なお、中世ヨーロッパ社会における大変に残酷なキリスト者たちと、韓国・朝鮮人を対比させるつもりは全くありません。当時と今とでは周りを取り囲む社会的状況が全く異なります。
私が中世キリスト者世界につき言及したのは、「人間の業」とか「原罪」というものは、歴史を経てもなお治癒されぬものなのか、そしてその「業」や「原罪」が今なお色々な方面に暗い影を落としているのかという感慨を持ったからのみです。
どちらがより残酷かどうかという視点ではありません。
以上、まとまらぬ乱文でした。
これは メッセージ 25693 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/25719.html