恋人さん
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/12/08 16:09 投稿番号: [25693 / 44985]
こんにちは。
寒い毎日がつづくようになりました。どうぞ、お身体にはお気をつけください。
> そのおぞましさと残虐さに身震いすると同時に、人間とは何と業の深い存在なのかということと最も「原罪」に問われるべきは当時最も残虐な行為を行ったキリスト者ではないかと思いましたね。
私には非常に不思議なことがあります。
恋人さんは、中世後期から啓蒙主義時代までのクリスチャン(新旧両派に関わらず)がいかに残虐な行為をなしてきたか、よくご存知と拝察します。にもかかわらず、「朝鮮民族はまったく残酷な人々ですね」という文言をあちこちで書いておられます。(最近では、このトピでは控えておられているようですが)
なぜ、朝鮮民族の残虐性が西欧クリスチャンたちが犯した残虐性よりも上に来るのか、私にはそれがわからないのです。
私は、そもそも拷問と言うものは世の東西を問わず、残虐なものだと思っております。古代アッシリアの遺跡からは、敵の兵士たちを串刺しにして葬った死体が発見されることがよくあるとか。また、文献に残る中国の拷問の数々も、目を覆うばかりのものです。朝鮮半島のそれは、いわば中国のパクリで本家には及ばないのではないか、とさえ思っております。
> 何かで読みました。「異端者をどのように見分けましょうか?」との質問に高官が「構わぬ、全て焼き殺せ、その後に神が見定めて異端者でなきものは天国に召されるであろう」と答えていたような記憶があります。
これは、13Cのアルビジョア十字軍で、南仏のベジエに篭城するカタリ派信者を中心とする市民たちに焼き討ちをかけるとき、兵士の一人が教会側の司令官アルノー・アモーリに「どうやって異端者とそれ以外の者を見分けたらいいのでしょうか」(大意)と尋ねたときの返答、とされています。
なるほど、アルノー・アモーリの言葉そのものは教会に籍を置く者としてあるまじき弁だったでしょう。しかし、私はここで、この言葉を取り巻く大状況そのものにも目をむけずにはいられません。
そもそも12〜13Cは、それまでの牧歌的中世世界から、大きく世の中が変化しようとしている時代でした。法王庁の権威を脅かす各地の王権が発達し、カタリ派、ワルドー派などのいわゆる異端が急速に広まっていました。カタリ派などは、南フランスにおいて独自の文化を築くに至っていたのです。
私自身は、ワルドー派を異端としたのは法王庁の大きな誤りだったと考えていますが、カタリ派はカソリック側がどうがんばっても、「正統」の範囲内に吸収することが不可能な思想を秘めていました。「この世は悪が創った場所であり、人間の穢れた肉体のなかには、そもそもこの世界が創られるまえの太古の精霊が閉じ込められている。この精霊を肉体から解き放つために志願者は厳しい修行をしなければならない」というのが彼らの教えです。当然、生殖行為は禁止。そして、精霊を肉体から解き放つことができない者は輪廻転生を繰り返さねばならない、という考えもありました。
この世は悪が創りしもの。
それは、一見とてつもなく合理的な考えかたに思えます。しかしそれでは、現実のこの世界を生き、また治めていくには行き詰まってしまいます。だからこそ、カソリックはカタリ派の思想の隆盛を放置しておくわけには行かなかったのです。そして、その結果として上記の、
>構わぬ、全て焼き殺せ、その後に神が見定めて異端者でなきものは天国に召されるであろう」
があったわけです。
私は、圧倒的に有利な側はいくらでも相手側に対して寛容になれるものだと思っています。残虐行為が起こるのは、両者の勢力が拮抗している状態においてと考えるのです。現在のイラク情勢もそうです。一見アメリカ軍は戦力規模で相手かたを圧倒しているように見えますが、目に見えないところで兵士たちの心の荒みが進行しているのでしょう。ですから、捕虜虐待などといったことも起こってくるのだと思います。
翻って、日朝関係、日韓関係はどうでしょうか? 北朝鮮は日々不利な状況へと追い詰められていっていますし、韓国は指導部の愚かさから当事者能力の欠如を世界中にさらけ出してしまいました。
その両国に対し、ご高齢の拉致被害者家族のかたたちを心配する以外にこれといった不利がないわれわれ日本人(旧社会党員をはじめとする連中が残っているのは事実ですが)が、あたかもアルノー・アモーリの言葉じみた罵詈雑言を吐くことに対して、私は哀れみと軽蔑を禁じ得ません。
なお、中国に関しては事情は異なります。かの国は、わが国に対して潜在的(近ごろ顕在化してきたとも言えますが)敵対能力を持っていますので、少なくとも私は警戒心を解くことが出来ません
寒い毎日がつづくようになりました。どうぞ、お身体にはお気をつけください。
> そのおぞましさと残虐さに身震いすると同時に、人間とは何と業の深い存在なのかということと最も「原罪」に問われるべきは当時最も残虐な行為を行ったキリスト者ではないかと思いましたね。
私には非常に不思議なことがあります。
恋人さんは、中世後期から啓蒙主義時代までのクリスチャン(新旧両派に関わらず)がいかに残虐な行為をなしてきたか、よくご存知と拝察します。にもかかわらず、「朝鮮民族はまったく残酷な人々ですね」という文言をあちこちで書いておられます。(最近では、このトピでは控えておられているようですが)
なぜ、朝鮮民族の残虐性が西欧クリスチャンたちが犯した残虐性よりも上に来るのか、私にはそれがわからないのです。
私は、そもそも拷問と言うものは世の東西を問わず、残虐なものだと思っております。古代アッシリアの遺跡からは、敵の兵士たちを串刺しにして葬った死体が発見されることがよくあるとか。また、文献に残る中国の拷問の数々も、目を覆うばかりのものです。朝鮮半島のそれは、いわば中国のパクリで本家には及ばないのではないか、とさえ思っております。
> 何かで読みました。「異端者をどのように見分けましょうか?」との質問に高官が「構わぬ、全て焼き殺せ、その後に神が見定めて異端者でなきものは天国に召されるであろう」と答えていたような記憶があります。
これは、13Cのアルビジョア十字軍で、南仏のベジエに篭城するカタリ派信者を中心とする市民たちに焼き討ちをかけるとき、兵士の一人が教会側の司令官アルノー・アモーリに「どうやって異端者とそれ以外の者を見分けたらいいのでしょうか」(大意)と尋ねたときの返答、とされています。
なるほど、アルノー・アモーリの言葉そのものは教会に籍を置く者としてあるまじき弁だったでしょう。しかし、私はここで、この言葉を取り巻く大状況そのものにも目をむけずにはいられません。
そもそも12〜13Cは、それまでの牧歌的中世世界から、大きく世の中が変化しようとしている時代でした。法王庁の権威を脅かす各地の王権が発達し、カタリ派、ワルドー派などのいわゆる異端が急速に広まっていました。カタリ派などは、南フランスにおいて独自の文化を築くに至っていたのです。
私自身は、ワルドー派を異端としたのは法王庁の大きな誤りだったと考えていますが、カタリ派はカソリック側がどうがんばっても、「正統」の範囲内に吸収することが不可能な思想を秘めていました。「この世は悪が創った場所であり、人間の穢れた肉体のなかには、そもそもこの世界が創られるまえの太古の精霊が閉じ込められている。この精霊を肉体から解き放つために志願者は厳しい修行をしなければならない」というのが彼らの教えです。当然、生殖行為は禁止。そして、精霊を肉体から解き放つことができない者は輪廻転生を繰り返さねばならない、という考えもありました。
この世は悪が創りしもの。
それは、一見とてつもなく合理的な考えかたに思えます。しかしそれでは、現実のこの世界を生き、また治めていくには行き詰まってしまいます。だからこそ、カソリックはカタリ派の思想の隆盛を放置しておくわけには行かなかったのです。そして、その結果として上記の、
>構わぬ、全て焼き殺せ、その後に神が見定めて異端者でなきものは天国に召されるであろう」
があったわけです。
私は、圧倒的に有利な側はいくらでも相手側に対して寛容になれるものだと思っています。残虐行為が起こるのは、両者の勢力が拮抗している状態においてと考えるのです。現在のイラク情勢もそうです。一見アメリカ軍は戦力規模で相手かたを圧倒しているように見えますが、目に見えないところで兵士たちの心の荒みが進行しているのでしょう。ですから、捕虜虐待などといったことも起こってくるのだと思います。
翻って、日朝関係、日韓関係はどうでしょうか? 北朝鮮は日々不利な状況へと追い詰められていっていますし、韓国は指導部の愚かさから当事者能力の欠如を世界中にさらけ出してしまいました。
その両国に対し、ご高齢の拉致被害者家族のかたたちを心配する以外にこれといった不利がないわれわれ日本人(旧社会党員をはじめとする連中が残っているのは事実ですが)が、あたかもアルノー・アモーリの言葉じみた罵詈雑言を吐くことに対して、私は哀れみと軽蔑を禁じ得ません。
なお、中国に関しては事情は異なります。かの国は、わが国に対して潜在的(近ごろ顕在化してきたとも言えますが)敵対能力を持っていますので、少なくとも私は警戒心を解くことが出来ません
これは メッセージ 25677 (koibitonoirumachikado さん)への返信です.
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