北朝鮮

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投稿者: shamisengai 投稿日時: 2004/06/28 23:46 投稿番号: [19742 / 44985]
>>植民地をぶんどられる中で、インドネシアだけは
絶対に手放さなかった。また、他の欧米諸国も
インドネシアはオランダという共通認識があった。
>その共通認識というのが、よくわかんないんですよ。

おおざっぱに説明したもんですいません(^^;)。
植民地獲得競争は、いくつかのステージに分かれ、
各ステージで主役となる国も異なってきます。
この共通認識は、最終ステージ、
つまりナポレオン戦争後の国際社会が持っていたものですね。

>そう考えると、英仏は他の地域で手一杯で、インドネシア完全攻略するだけの余裕が無く、オランダは分捕られ続きだったので数少ない植民地を死守するべく必死だったので、何かの妥協があって分捕られるのを免れたという事でいいんでしょうか?

まさにびんご〜だと思います。
植民地獲得が本格化するのは16世紀に入ってからで
最初のステージで暴れ回ったのはスペイン・ポルトガル。
17世紀になると、オランダ・フランス・イギリスの
後発三国が主役となるステージが始まり、
先発二国の植民地は次第に浸食されていきます。
その次のステージでは、後発三国の中で奪い合いが始まり、
やがて18世紀になると完全にイギリスの一人勝ち。
北米・インドではフランスを駆逐し、オランダやスエーデンの
植民地もあったアメリカ東海岸は完全にイギリス領になり、
オーストラリア・ニュージーランドもイギリス領になるわけですが
インドネシアだけはオランダの地固めが固かったのと
(17世紀にはイギリスを東インドから完全に駆逐)
北米・インドでフランスと猛烈な抗争をくり返し、
そこまで手が回らなかったという事情もあって、
インドネシアは国際秩序らしきものができるナポレオン戦争後、
すなわち植民地獲得競争の最終ステージまで
オランダが死守したというところでしょうか。
なお台湾を占領したのは、明王朝の遺臣、鄭成功で、
清ではありませんでしたm(_ _)m。

一方、フランスはイギリスとの抗争でボロボロになり、
とてもオランダ領東インドまで手を出す余裕は
イギリス以上になかったみたいです。

最終ステージ、ナポレオン戦争後の19世紀のアフリカ・太平洋での
植民地獲得競争は、それまでの歴史を考えると紳士的ともいえるかも。
ドイツはモロッコで譲歩し、フランス・イギリスも
ファッショダの衝突を戦争に発展させなかったし。
ちなみにオランダはこの時期、新規開拓をせず
既存の東インドの支配力を強めることに尽力していたみたいです。
最終ステージで植民地を広げたのは、
ロシア・イギリス・ドイツ・イタリアですが
イギリスが南アフリカのケープ植民地をウィーン会議で
分捕った以外は、どの国もオランダ領に
ちょっかいを出すことはなかったようです。

余談ですが、イギリスは、フランスから分捕ったカナダと
オランダから分捕った、南アフリカで、移民間の
民族問題の原因を作っています。
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