覚悟の果てに……
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/04/30 14:58 投稿番号: [17426 / 44985]
>なごやん殿
>わしはいつでもウエルカムじゃ。
誠意あふれるお返事をくださり、ありがとうございました。感謝しております。
>わしの覚悟は「生きる」ことにある。
リラ殿の覚悟は「死ぬ」ことにあるようじゃ。
わしは「生きる」ことが「死ぬ」ことより、より覚悟が必要だと考えるがな。
もちろんです。
「生きる」ことのほうが「死ぬ」ことより、何倍も難しく、何倍も大切なことです。それを悟らなかったら、私はこの歳まで生きてこれてはいません。
私の覚悟ですか。
それは、多分、こういうことだと思います。
私は、「自ら助く」ことなくして天も人も自分達を助けはしない、という言葉を浴びせられる日が日本人自身にやってくるかもしれないことを覚悟している、と書きました。そして、なごやん殿は、「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟ならある」とお答をくださいました。その上で私は、私の思いも、なごやん殿の思いもほんの小さな一部として吸収しながら流れていく大きなものがこの世の底にあると思っています。
私達はみな、夢を持ち、希望を抱き、野心を心に秘めています。少なくとも、一度もそのようなものを持ったことがない、という人はいないでしょう。そうやってさまざまの思いを膨らませながら地上での生を生き、なんらかの痕跡を残したつもりでそれを閉じる。その瞬間に、私達はその大きなものに吸収されて、思いもよらない位置や役割、意味を与えられ、それの一部となっていくのだと考えているのです。その時、
「自分はそんなつもりで生きたんじゃない!」
と、多くの人が叫ぶと思う。思いがけずうれしくてそう言うかもしれないし、一生を返せと言いたくなるくらい失望してそういう言葉になるかもしれない。ですが、その大きなものは、それらの叫びさえ飲み干して、瞬く間に次にむかって流れていくでしょう。
私はその大きなものに、
「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座」した女、という位置を与えられるのかもしれない。あるいは、「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟を持ちながらも、水一杯得ることができなかった女」という役割になるのかもしれません。
ですが、たとえそうであったとしても、私はそのものに吸収される瞬間に、「諾」と言いたい。私が生きたことなど星の一度の瞬きにも満たなくしてしまう大きなものに対して、その一部になることを全身で承諾したい。それが私をどう扱うことになっても、私は、
「了解」
とうなづきたいのです。
この、うなづきたい、という思いが、私の覚悟の果てだと思っています。
……まさかこんな話を掲示板でするとは思いませんでした。
なるほど、対話は相手のおかげで成り立つものですね。これこそは、「繋ぎ結ぶ力」のなせる技かもしれません。
>わしはいつでもウエルカムじゃ。
誠意あふれるお返事をくださり、ありがとうございました。感謝しております。
>わしの覚悟は「生きる」ことにある。
リラ殿の覚悟は「死ぬ」ことにあるようじゃ。
わしは「生きる」ことが「死ぬ」ことより、より覚悟が必要だと考えるがな。
もちろんです。
「生きる」ことのほうが「死ぬ」ことより、何倍も難しく、何倍も大切なことです。それを悟らなかったら、私はこの歳まで生きてこれてはいません。
私の覚悟ですか。
それは、多分、こういうことだと思います。
私は、「自ら助く」ことなくして天も人も自分達を助けはしない、という言葉を浴びせられる日が日本人自身にやってくるかもしれないことを覚悟している、と書きました。そして、なごやん殿は、「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟ならある」とお答をくださいました。その上で私は、私の思いも、なごやん殿の思いもほんの小さな一部として吸収しながら流れていく大きなものがこの世の底にあると思っています。
私達はみな、夢を持ち、希望を抱き、野心を心に秘めています。少なくとも、一度もそのようなものを持ったことがない、という人はいないでしょう。そうやってさまざまの思いを膨らませながら地上での生を生き、なんらかの痕跡を残したつもりでそれを閉じる。その瞬間に、私達はその大きなものに吸収されて、思いもよらない位置や役割、意味を与えられ、それの一部となっていくのだと考えているのです。その時、
「自分はそんなつもりで生きたんじゃない!」
と、多くの人が叫ぶと思う。思いがけずうれしくてそう言うかもしれないし、一生を返せと言いたくなるくらい失望してそういう言葉になるかもしれない。ですが、その大きなものは、それらの叫びさえ飲み干して、瞬く間に次にむかって流れていくでしょう。
私はその大きなものに、
「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座」した女、という位置を与えられるのかもしれない。あるいは、「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟を持ちながらも、水一杯得ることができなかった女」という役割になるのかもしれません。
ですが、たとえそうであったとしても、私はそのものに吸収される瞬間に、「諾」と言いたい。私が生きたことなど星の一度の瞬きにも満たなくしてしまう大きなものに対して、その一部になることを全身で承諾したい。それが私をどう扱うことになっても、私は、
「了解」
とうなづきたいのです。
この、うなづきたい、という思いが、私の覚悟の果てだと思っています。
……まさかこんな話を掲示板でするとは思いませんでした。
なるほど、対話は相手のおかげで成り立つものですね。これこそは、「繋ぎ結ぶ力」のなせる技かもしれません。
これは メッセージ 17412 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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