中道は一日にして成らず
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/04/29 14:41 投稿番号: [17382 / 44985]
>「断ち切る力」も「繋ぎ結ぶ力」も、本性無記。
中道こそが肝要。
「無記」とは、「涅槃の獲得に役立たない客観的知識に関わらない」ということだそうですね。
つまり、「断ち切る力」も「繋ぎ結ぶ力」も、私達衆生の都合でどうこうすることができるものではない、という意味でしょうか?
以前、聖書の中のイエスの言葉、「汝裁くなかれ」という言葉について、友達と言葉を交わしたことがありました。この「裁くなかれ」という言葉がむけられている最たるものは自分自身のはずだという私に対し、友達は言ったんです。
「それはね、あなたが、他人も裁き、自分も裁き、裁きつくした末に到達した結論だって。『汝裁くなかれ』という言葉が実感を持って迫るためには、『裁く』ことの苦しさを味わいつくすしかないんだよ」
この言葉は、至言だと思っています。
「断ち切る力」と「繋ぎ結ぶ力」のそれぞれが、人間の都合に関係なく噴出しつくし、その果てに2つの力が相殺され、洗われ切った果てにしか、「中道」は現われないのではないか、と思います。
そこに至るまでには、大変な試練が待っているのかもしれませんが。
これは メッセージ 17364 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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