理性と感情(>李殿)
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/04/22 15:21 投稿番号: [16897 / 44985]
>終わります。
終わるべきではないでしょう。
少なくとも私は終わりません。思考停止は嫌いなので。(回答の義務はありませんけど)
>「その世界市民とやら人達」に対して、怒りの感情だったり、寂しさだったりはあるんじゃないんですか?
リラさんはいやでしょ?こういう人達。
私が「世界市民」などと自らを億面なく名乗る連中を批判しているのは、彼らが自分を「世界市民」だと解釈してるからではありません。愚かな考えだとは思いますが、それを愚かだと考えるこの私が確実に正しいという根拠はありませんから。
どちらにせよ自分のアイデンティティをどこに置くかは、各人の内面の問題、感情の問題です。(私は会津藩士の子孫の配偶者ですが、自分を会津藩士の子孫と思うことはできません)
私が「世界市民」などとほざく連中を批判するのは、一方でそう名乗りながら片方では日本国民である諸権利を行使することになんのためらいもない、ということにおいてです。ですが、もし日本国政府や彼らの属する自治体が、
「この人達は『世界市民』だそうだから、『世界政府』なるものに彼らの諸権利は保証してもらおう。自分達は手を引く」
と言い出したら、私は政府やその自治体をも批判するでしょう。(気持ちとしては、十二分に理解できますけどね)この批判の根底にあるのは、私の理性です。
感情は内面の問題ですが、理性は行為を対象にします。
私が李殿を「ダブスタ」と言っているのは、「民族意識」あるいは「愛国心」という内面の問題(感情)を、サンデーさんの「国籍選択」という行為(理性)によるべきこととごちゃまぜにして非難しているからです。
私が、
>サンデーさんの国籍をうんぬんするなら、ご自身が韓国籍に国籍変更されてから韓国チームをお好きなだけ応援されるべきでしょう。(「愛国心」と「」を付けたのは民族意識も含む、などというさらなるダブスタは封じさせていただきます)
と先のレスで表現したことも、実はこの二つをごちゃまぜにする李殿の態度と変わりがありません。あえてやってみました。
李殿は、朝鮮民族を愛しているのでしょう? 自分の内面のデリケートな感情を、「国籍変更」をするかしないかという様々な感情を考慮した末に理性的に決断しなければならない問題と同列に扱われて、腹が立ったでしょう?
まさに同じことを、あなたはサンデーさんになさったのだと私は言いたい。そのことに気付いてほしいのです。
付記:
私は、会津藩とか福島県を自分の故郷と思うことはできません。自分の郷里代表の高校と福島県代表の高校が甲子園で闘ったら、迷わず郷里のほうを応援するでしょう。ですが、私の横で配偶者が福島県を応援しようと、私の郷里を応援しようと、または今現在住んでいる地方代表の高校を応援しようと、それは彼の自由であり権利です。
その私ですが、日本史の中で会津藩というものが投げかけてくる特殊性を、「自分とは関係がない」とは思えません。
以前に中京さんにも言いましたが、一個の人間は、イデオロギーよりも、宗教的教義よりも、愛国心や民族意識よりも複雑なのです。それにひとまず妥当な範囲を与えるのは、個々の内面ではなく、個々の行為によるしかありません。
李殿がもしサンデーさんを非難することができるとしたら、たとえばサンデーさんが、韓国国旗を踏みにじるとか焼くとかなどの「行為」を行った時、です。たとえば、ね。
終わるべきではないでしょう。
少なくとも私は終わりません。思考停止は嫌いなので。(回答の義務はありませんけど)
>「その世界市民とやら人達」に対して、怒りの感情だったり、寂しさだったりはあるんじゃないんですか?
リラさんはいやでしょ?こういう人達。
私が「世界市民」などと自らを億面なく名乗る連中を批判しているのは、彼らが自分を「世界市民」だと解釈してるからではありません。愚かな考えだとは思いますが、それを愚かだと考えるこの私が確実に正しいという根拠はありませんから。
どちらにせよ自分のアイデンティティをどこに置くかは、各人の内面の問題、感情の問題です。(私は会津藩士の子孫の配偶者ですが、自分を会津藩士の子孫と思うことはできません)
私が「世界市民」などとほざく連中を批判するのは、一方でそう名乗りながら片方では日本国民である諸権利を行使することになんのためらいもない、ということにおいてです。ですが、もし日本国政府や彼らの属する自治体が、
「この人達は『世界市民』だそうだから、『世界政府』なるものに彼らの諸権利は保証してもらおう。自分達は手を引く」
と言い出したら、私は政府やその自治体をも批判するでしょう。(気持ちとしては、十二分に理解できますけどね)この批判の根底にあるのは、私の理性です。
感情は内面の問題ですが、理性は行為を対象にします。
私が李殿を「ダブスタ」と言っているのは、「民族意識」あるいは「愛国心」という内面の問題(感情)を、サンデーさんの「国籍選択」という行為(理性)によるべきこととごちゃまぜにして非難しているからです。
私が、
>サンデーさんの国籍をうんぬんするなら、ご自身が韓国籍に国籍変更されてから韓国チームをお好きなだけ応援されるべきでしょう。(「愛国心」と「」を付けたのは民族意識も含む、などというさらなるダブスタは封じさせていただきます)
と先のレスで表現したことも、実はこの二つをごちゃまぜにする李殿の態度と変わりがありません。あえてやってみました。
李殿は、朝鮮民族を愛しているのでしょう? 自分の内面のデリケートな感情を、「国籍変更」をするかしないかという様々な感情を考慮した末に理性的に決断しなければならない問題と同列に扱われて、腹が立ったでしょう?
まさに同じことを、あなたはサンデーさんになさったのだと私は言いたい。そのことに気付いてほしいのです。
付記:
私は、会津藩とか福島県を自分の故郷と思うことはできません。自分の郷里代表の高校と福島県代表の高校が甲子園で闘ったら、迷わず郷里のほうを応援するでしょう。ですが、私の横で配偶者が福島県を応援しようと、私の郷里を応援しようと、または今現在住んでいる地方代表の高校を応援しようと、それは彼の自由であり権利です。
その私ですが、日本史の中で会津藩というものが投げかけてくる特殊性を、「自分とは関係がない」とは思えません。
以前に中京さんにも言いましたが、一個の人間は、イデオロギーよりも、宗教的教義よりも、愛国心や民族意識よりも複雑なのです。それにひとまず妥当な範囲を与えるのは、個々の内面ではなく、個々の行為によるしかありません。
李殿がもしサンデーさんを非難することができるとしたら、たとえばサンデーさんが、韓国国旗を踏みにじるとか焼くとかなどの「行為」を行った時、です。たとえば、ね。
これは メッセージ 16888 (lee_higasi_osaka さん)への返信です.
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