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ある宰相の話(>中京さん)(1)

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/04/19 19:32 投稿番号: [16719 / 44985]
「ミシェル・ド・ロピタルの《むだ》な努力の根底には、『それはキリストと何の関係があるのか?』と、同じキリストの名を掲げて憎み合い殺し合うキリスト教徒に問いかける心根が貫き通していたと言ってよいでしょう。彼の生涯は、《シシュポスの神話》を思い出させます。しかし、こうした営みこそ、人間の名に値するものであると信じたいのです。『人類はしょせん滅びるかもしれない。しかし、それに抵抗しながら滅びよう』というセナンクゥールの言葉が、しみじみと響いてきます。(渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』)

ミシェル・ド・ロピタル(1504〜73)
  フランスの法律家・政治家。新旧両教徒の対立の緩和に努め、新教徒に対する寛容政策を推進したが、宗教戦争を防止しできなかった。聖バルテルミーの虐殺ののち、まもなく没。政治的感覚、実践力、人格の点で近代初期の政治家として群を抜いた人物と言えるだろう。
  個人的には、同時代の英国のウィリアム・セシルやのちのリシュリューのほうが政治的手腕は上だったと思う。だが、この時期のフランスにロピタルのような政治家がいた、まさにそのことが人類史の救いであるとも思っている。

  以前も書いたことですが、私は自分が拠って立つ思想とは異なる立場・異なる思想を持った他者に対して誠実であれる人に敬意を感じます。そして、左翼的思想や立場に立つ人の中にも、自らの内面に剣を突き立てることができる人々の言動をこの眼で見、この耳で聞いてきました。もちろん、これらの品格ある人々が少数であることは確かです。加えていうなら、左翼的立場に限らず、自らと異なった思想・政治的、経済的立場にある他者に対して誠実である人はいつの時代も少数です。(この私自身がそうでありたいとあがきながら、そうはなれずに日々を送っています)


  以下、またも再掲載(再々掲載を含む)致します。

>「生きている者の多数は、死んだっていいやつじゃ。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか?   もしできないのなら、そうせっかちに死の判定を下すものではい」
(再掲載)

  狭い意味では、ヨタロウさんのおっしゃる通りだと思います。一歩引いたところから言えば、
「個々の人物の真の値打ちは、歴史全体を見渡すことができない人間には下せない。(それができる絶対者にしか、個々人が実は何者であったかなどわからない)」
ということではないでしょうか。
  確かに私達の大半は、「死んだっていいやつ」ですし、おまけに、「生きていてほしい」と多くの人が願う「死者に」自分に代えてでも「命を与えられる」ことさえできないのですから。(今回の人質事件も、登場人物の多くは下らない連中だったと私は思います。ですが、彼らがこの国にもたらしたものは大変貴重だったでしょう。その意味で「彼らもまた、大きな仕事をした」と、逆説的ながら言うこともできると考えたりします)
  私達は、「当面妥当だろう」と思える判断を下して、日々を生きています。それは当然ですし、その場その場の判断の責任を負う覚悟は大半が持っているでしょう。でも、自分がどこまで徹底して「責任」を負うことができるのかということに対しては、謙虚であるべきなのでしょうね。(「謙虚」という言葉を口の中にねじ込んでやりたい連中は誰か、という点に関しては、私は譲るつもりはありませんけど)


>>そして、それが全員でないことも知っています。

>この点が疑問なのですが、私は左翼とは自らの過ちを認められない幼稚な
人々と言うイメージがあるのですが、そうでない方もおられるとの意味で
しょうか?

  8割ほど、はい。(思い浮かべるお一人はすでに故人ですので)

  長くなりましたので、以下は次の投稿で。
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