ガンダルフのセリフ(>ヨタロウさん)
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/04/17 01:36 投稿番号: [16558 / 44985]
>ガンダルフ・・・前、娘と一緒に映画見たけど忘れちゃった;;
なんとなく分かりました。えーやたらに人を殺してはいかん、ということ?
「生きている者の多数は、死んだっていいやつじゃ。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか? もしできないのなら、そうせっかちに死の判定を下すものではい」
(再掲載)
狭い意味では、ヨタロウさんのおっしゃる通りだと思います。一歩引いたところから言えば、
「個々の人物の真の値打ちは、歴史全体を見渡すことができない人間には下せない。(それができる絶対者にしか、個々人が実は何者であったかなどわからない)」
ということではないでしょうか。
確かに私達の大半は、「死んだっていいやつ」ですし、おまけに、「生きていてほしい」と多くの人が願う「死者に」自分に代えてでも「命を与えられる」ことさえできないのですから。(今回の人質事件も、登場人物の多くは下らない連中だったと私は思います。ですが、彼らがこの国にもたらしたものは大変貴重だったでしょう。その意味で「彼らもまた、大きな仕事をした」と、逆説的ながら言うこともできると考えたりします)
私達は、「当面妥当だろう」と思える判断を下して、日々を生きています。それは当然ですし、その場その場の判断の責任を負う覚悟は大半が持っているでしょう。でも、自分がどこまで徹底して「責任」を負うことができるのかということに対しては、謙虚であるべきなのでしょうね。(「謙虚」という言葉を口の中にねじ込んでやりたい連中は誰か、という点に関しては、私は譲るつもりはありませんけど)
> 精神が発する言葉は肉体には残酷である場合が多い。肉体の言葉は何処に行ってしまったのか?
>今回のイラクの事件で感じたことも、これに類するものでした。
「可哀想なこども達、困窮している民衆」へのセンチメンタリズムは必要である、と私は以前書いた。でも、社民・共産のような家畜化されてしまった過剰なセンチメンタリズムを肯定するわけではありません。
このお言葉には、非常に感銘を受けました。それは、私が「謙虚」という言葉を使ったことと通じるものがあるように思います。
私は、肉体の言葉としてこの1週間の自分の感情が不当なものだったとは今も思っておりません。ですが、それに「傲慢でいびつな」精神の理屈をかぶせたことはあったと思っています。そして、そうせずにいられなかったのはなぜか、という点を自分に対して見通そうと思っています。
> けれど、「何か差し障りがあるもの」を予防しようとする、ことなかれ主義が蔓延しているとも言える。「予測できないものが起こっては駄目!」というシバリがかかっている。
これは、私達国民(やマスコミ)が、「差し障り」や「予測できないものが起こっ」た時の責任を政府に問いつめすぎる傾向があるからではないでしょうか。実際に、「今になって非常に危険な場所だからというなら、どうして政府は『渡航禁止』にしておかなかったんだ」という論調を吐き出していた人物もいたくらいですから。
それでは失礼します。
P.S.
その2以降は、もちろん秘密です。
なんとなく分かりました。えーやたらに人を殺してはいかん、ということ?
「生きている者の多数は、死んだっていいやつじゃ。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか? もしできないのなら、そうせっかちに死の判定を下すものではい」
(再掲載)
狭い意味では、ヨタロウさんのおっしゃる通りだと思います。一歩引いたところから言えば、
「個々の人物の真の値打ちは、歴史全体を見渡すことができない人間には下せない。(それができる絶対者にしか、個々人が実は何者であったかなどわからない)」
ということではないでしょうか。
確かに私達の大半は、「死んだっていいやつ」ですし、おまけに、「生きていてほしい」と多くの人が願う「死者に」自分に代えてでも「命を与えられる」ことさえできないのですから。(今回の人質事件も、登場人物の多くは下らない連中だったと私は思います。ですが、彼らがこの国にもたらしたものは大変貴重だったでしょう。その意味で「彼らもまた、大きな仕事をした」と、逆説的ながら言うこともできると考えたりします)
私達は、「当面妥当だろう」と思える判断を下して、日々を生きています。それは当然ですし、その場その場の判断の責任を負う覚悟は大半が持っているでしょう。でも、自分がどこまで徹底して「責任」を負うことができるのかということに対しては、謙虚であるべきなのでしょうね。(「謙虚」という言葉を口の中にねじ込んでやりたい連中は誰か、という点に関しては、私は譲るつもりはありませんけど)
> 精神が発する言葉は肉体には残酷である場合が多い。肉体の言葉は何処に行ってしまったのか?
>今回のイラクの事件で感じたことも、これに類するものでした。
「可哀想なこども達、困窮している民衆」へのセンチメンタリズムは必要である、と私は以前書いた。でも、社民・共産のような家畜化されてしまった過剰なセンチメンタリズムを肯定するわけではありません。
このお言葉には、非常に感銘を受けました。それは、私が「謙虚」という言葉を使ったことと通じるものがあるように思います。
私は、肉体の言葉としてこの1週間の自分の感情が不当なものだったとは今も思っておりません。ですが、それに「傲慢でいびつな」精神の理屈をかぶせたことはあったと思っています。そして、そうせずにいられなかったのはなぜか、という点を自分に対して見通そうと思っています。
> けれど、「何か差し障りがあるもの」を予防しようとする、ことなかれ主義が蔓延しているとも言える。「予測できないものが起こっては駄目!」というシバリがかかっている。
これは、私達国民(やマスコミ)が、「差し障り」や「予測できないものが起こっ」た時の責任を政府に問いつめすぎる傾向があるからではないでしょうか。実際に、「今になって非常に危険な場所だからというなら、どうして政府は『渡航禁止』にしておかなかったんだ」という論調を吐き出していた人物もいたくらいですから。
それでは失礼します。
P.S.
その2以降は、もちろん秘密です。
これは メッセージ 16523 (yotaro47j さん)への返信です.
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