cyukyoubaka さんへ
投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/03/19 11:38 投稿番号: [15163 / 44985]
「公と私」というのをフト考えてしまった。意味不明の問いで、すみませんでした。
・社会の一員としての立場を表すアイディンティティー(公のアイディンティティー)
・個人の、まあ性格なり考え方としてのアイディンティティー(私のアイディンティティー)
と、二つに分けてみるとします。
日本人の場合「公」は社会の一員としての義務があります、「私」の生活はプライバシーであって区別される。
日本で暮らす朝鮮人はこの「公私」がゴチャマゼになる時が多いのではないでしょうか。
朝鮮籍であるということは「公」のもので、日本で育ち日本語を母語とするのは「私」のものです。朝鮮人でもあり日本人でもあるという、この場合、公私の別はどうなるのか。ここに朝鮮籍の人達の難しさがあのではないかと思ったのです。
どうもうまく言えません(考えがぼんやりしてます^^;)。
この前、F.コッポラの娘さんが「ロスト・トランスレーション」?という映画でアカデミー候補になりました。まだ私は見ていませんが、「翻訳不能の日本社会」を描いているらしい。
日本で言う「オオヤケ(朝廷)」は官僚社会を強く現しているように、私には思えます。「私」はそれに隷属?するものとしてある。西欧ではこれが逆になるのではないか?「オオヤケ」は「ワタクシ」に隷属?するのではないか。
概して、東アジアは「公」が「私生活」の上にあるのかも知れません。私は「私生活」が「公」の上にあってほしいと思っています。
法律に詳しい中京さんは、どう思います?
これは メッセージ 15144 (cyukyoubaka さん)への返信です.
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