北朝鮮

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超遅レス2。今度は国際公法さんへ^^

投稿者: worst_human83 投稿日時: 2004/03/12 03:35 投稿番号: [14880 / 44985]
最初の豊前急襲の時点で潰します。
リラさんが提示した条件では、恐らく1590〜2ほどが妥当と思われ、それを元にシミュレートしたのが俺の拙い作戦です。
その当時黒田官兵衛は民衆の反感を喰らってました。なぜか?確かに官兵衛は年貢も安く、目安箱を作ったり、苦役を免除したりで領民の経済的観念からは歓迎されてましたが、郷土的な思いが領民を縛り、官兵衛に反感を持つようになりました。その原因というのが、名称変更です。彼は当時福崎と呼ばれていた地名を、黒田家にゆかりのある地名「福岡」に改称しました。
たったそれだけで・・・と思うかもしれませんが、当時の人々の名前への思い入れというのは我々の考えを超えたほどの愛着があったようです。私たちは今でこそ、日本を、広ければ世界を土台として考える事が出来ますが、当時の人々の天地は一郷のみ、良くても一国だけなのです。つまり彼ら領民にとっては、今の私たちで例えるならば、石原慎太郎が東京を東都、と改称するくらいのインパクトがあったのです。そのため官兵衛も一時は領民の統御に苦労したようです。
他にも長宗我部元親に学者が「岡豊は豊岡がなまったに違いない。改称を勧めます」といっただけで元親は激怒し、その学者を放逐した・・・なんて話もあります。
では、朝鮮軍が来たら、郷土的な思いが民衆を駆り立て、朝鮮軍に反抗する・・・というわけにはいかないんですね。彼らからすれば、備前から来た黒田家よりも、朝鮮軍の方が身近なのですから。朝鮮軍が過酷な年貢を課したり、郷土愛を侮辱するような行動さえ取らなければ、何のことも無いでしょう。

つまり朝鮮軍は民衆を懐柔といえないまでも、ある程度までは味方につけることが可能だったのです。

で、黒田官兵衛がやすやすと戦に負けるようなことはない、との問題ですが・・・
とりあえず官兵衛が当時動かしうる兵力は多くても8千人程、対する朝鮮軍は10万・・・戦になりません。篭城も下策です。「急襲」と書いたように、相手が戦備を整える前に攻めるのですから、篭城するだけの火薬も兵糧も整っていないのです。したがって出戦しなければならないのですが・・・官兵衛が如何に策を施そうとも、焼け石に水状態かと・・・
また、篭城しえたとしても、10日持てばいいほうでしょう。10万もいれば官兵衛の城を完全包囲し、水道を絶つことも可能ですし。
しつこいようですがこれは「急襲作戦」です。勿論官兵衛が、事前に知っていたら、それなりの策を施す事も出来たでしょう。策というのは時間を必要とするものです。効果を出すためにはなおさら時間が必要となります。官兵衛にその時間を与えないための「急襲」なのです。

官兵衛は確かに戦上手でした、が、彼が関が原のときに北九州を席巻出来たのは、小西家、立花家以外の大名は戦意に乏しかった、のと、加藤清正の存在によって成り立つものです。決して彼が戦上手だからという理由だけでしえたものではありません。
長政、又兵衛は勇将ですが、この場合どれほどの戦果を出せるかは微妙です。文字通り波のように押し寄せてくる朝鮮軍相手に刃向かう術があるかどうか・・・


追伸:
黒田官兵衛の欠点は思慮がない。ということです。ひらめきは秀吉にも負けず劣らずの彼ですが、熟考熟慮ということは苦手だったようです。そんな官兵衛を評した小早川隆景の言葉「官兵衛は才智があるので即断即決できるが、思慮を尽くしてないので後悔する事もあるだろう。自分はすぐには決断出来ないが、十分思慮を尽くすので後悔する事は少ない」
これが官兵衛の全てを表しているような気がします。
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