シンパサイザーとはなんなのだろう?
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/11 17:49 投稿番号: [14855 / 44985]
シンパサイザー
同情者.共鳴者.革命運動などに共鳴し,後援する人.シンパ.
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/nihongo_keyword_katakana.html
今現在、ここにいるこの私は、この北トピで語られている話題や、そこに参加する人々をこう考えている。
・北朝鮮
極東アジアの平和と安全に対し、強烈な危険因子となっている。
・韓国
日本や日本人に対する、アンビバレントな感情を持つ。そのことに対する自覚を持たない限り、堂々めぐりを繰り返すだけで発展はないだろう。
・在日
複雑な立場を有する。一部の偏向した文化人達の甲高い声ばかりが響き、より一般的な日本人に近い感覚を持つはずの人々からの声が聞こえてくることは少ない。将来重大な選択を迫られることは、もはや必然となりつつある。
・サンデー氏
勇気と豊かな感性を持つ、在日女性。絶えず前むきに物事に取り組む。この北トピの空気を、誠意ある穏当なものに保つことに多大に貢献。
彼女の際立った特徴は、自分自身ではなく、自分の愛する人々に攻撃が加えられた場合に表面に現れる。その場合、彼女は猛然と戦う。
・李氏
北トピ一の熱血漢。熱く語り、熱く考え、熱く行動する。多少非論理的。最近著しくその欠点を克服しつつある。北トピのマスコットボーイの一人。
・そのほかの在日の人々(常連)
それぞれの置かれた立場から、在日問題に取り組む。各人の立場が異なるため、意見は一つではない。しかし、全員が真摯であることは横から見ていてよくわかる。
・北トピの日本人論客
硬軟それぞれの見解を持つ人々。彼らの意見もさまざまだが、ほとんどの人は、在日も含めた参加者各人への敬意に基づいて発言している。
・あの人
サンデー氏ほか数人の参加者と、かつて激しい討論を繰り広げた人物。
私リラは、当事者の一人であった八重七重氏ほど彼に対して穏やかな意見は持っていない。だが、少なくとも彼に、ゆるぎのない理念があったことは理解している。彼は言いたかったのだろう。
社会の中で暮らしている人間は、絶対に、「自分一人で」生きているわけではない。自分の知らないところで、多くの人々の活動に支えられているのだ。自分が属している国家、民族、社会、自治体などなどが、良くも悪くも自分を生かしてくれている。であるならば、自分が属している国家、民族、社会、自治体のいいところも悪いところも、自分もまた一員として責任を負うべきだ。いいところだけをつまみ食いして生きていくのは、他人から見て気持ちがいいものではない、と。(これは、私リラの解釈)
私は今、自分が、なんらかの組織や思想、活動、人物に対するシンパサイザーなのだろうかと、考え込む。だが、私は自分が日本人であり、ある自治体の一員であり、愛する家族とともに生きているという以外に、なんらかに対する共鳴者であるとは思えない。他人から、それ以外のものを求められているとも思わない。
尊敬と共鳴は違うと思う。
以上。
同情者.共鳴者.革命運動などに共鳴し,後援する人.シンパ.
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/nihongo_keyword_katakana.html
今現在、ここにいるこの私は、この北トピで語られている話題や、そこに参加する人々をこう考えている。
・北朝鮮
極東アジアの平和と安全に対し、強烈な危険因子となっている。
・韓国
日本や日本人に対する、アンビバレントな感情を持つ。そのことに対する自覚を持たない限り、堂々めぐりを繰り返すだけで発展はないだろう。
・在日
複雑な立場を有する。一部の偏向した文化人達の甲高い声ばかりが響き、より一般的な日本人に近い感覚を持つはずの人々からの声が聞こえてくることは少ない。将来重大な選択を迫られることは、もはや必然となりつつある。
・サンデー氏
勇気と豊かな感性を持つ、在日女性。絶えず前むきに物事に取り組む。この北トピの空気を、誠意ある穏当なものに保つことに多大に貢献。
彼女の際立った特徴は、自分自身ではなく、自分の愛する人々に攻撃が加えられた場合に表面に現れる。その場合、彼女は猛然と戦う。
・李氏
北トピ一の熱血漢。熱く語り、熱く考え、熱く行動する。多少非論理的。最近著しくその欠点を克服しつつある。北トピのマスコットボーイの一人。
・そのほかの在日の人々(常連)
それぞれの置かれた立場から、在日問題に取り組む。各人の立場が異なるため、意見は一つではない。しかし、全員が真摯であることは横から見ていてよくわかる。
・北トピの日本人論客
硬軟それぞれの見解を持つ人々。彼らの意見もさまざまだが、ほとんどの人は、在日も含めた参加者各人への敬意に基づいて発言している。
・あの人
サンデー氏ほか数人の参加者と、かつて激しい討論を繰り広げた人物。
私リラは、当事者の一人であった八重七重氏ほど彼に対して穏やかな意見は持っていない。だが、少なくとも彼に、ゆるぎのない理念があったことは理解している。彼は言いたかったのだろう。
社会の中で暮らしている人間は、絶対に、「自分一人で」生きているわけではない。自分の知らないところで、多くの人々の活動に支えられているのだ。自分が属している国家、民族、社会、自治体などなどが、良くも悪くも自分を生かしてくれている。であるならば、自分が属している国家、民族、社会、自治体のいいところも悪いところも、自分もまた一員として責任を負うべきだ。いいところだけをつまみ食いして生きていくのは、他人から見て気持ちがいいものではない、と。(これは、私リラの解釈)
私は今、自分が、なんらかの組織や思想、活動、人物に対するシンパサイザーなのだろうかと、考え込む。だが、私は自分が日本人であり、ある自治体の一員であり、愛する家族とともに生きているという以外に、なんらかに対する共鳴者であるとは思えない。他人から、それ以外のものを求められているとも思わない。
尊敬と共鳴は違うと思う。
以上。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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