ヒューマン将軍の采配について
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/06 16:31 投稿番号: [14568 / 44985]
>リラさんは条件を同じにする、と書いてましたが、そもそも、それからしてどうかと・・・
朝鮮国が、宗主国の意向なしに戦争するとは思えないし、年がら年中戦争してたような国に、我から突っ込むとは考えにくい。朝鮮軍は15万人動員するのも難しいし、攻める理由もない。文教主義の国が理由なしに戦争するとも思えないし。
引用させていただいた部分には、なにひとつ反論がないんですよね、実は。なにはさておき、あの時代の朝鮮で15万の兵力をかき集めるのはそもそも無理だろう、とは、このシミュレーションを考えついた時から思ってはいました。それくらいは、私にでもわかるのである。
>あなたの友達の京都急襲案も、兵力を引き付けなければ、京都を急襲することもできないし、兵站が伸びきって、どうにもならなくなってしまう。
このために、大軍勢を九州に上陸させて、秀吉の本隊を引きつけておくんですね。それが友人の案には欠けていた、と。それはそうだな。
それと、二頭波頭戦法ってなんですか? 基本的なことも知らない奴ですいません……
ヒューマンさんの案なんですが、ものすごく大雑把に言えば、実は朝鮮出兵した日本軍がやったこともそれと似てるんじゃないでしょうか? ポイントポイントになる都(漢城とか平壌とか)を後略する時には前もって2つほどのルートに分かれて進軍し、合流して囲みこむように落す。現地の人を取り込んで、先導役にしたりする。で、王子達を捕虜にしてカードにする。(やりそこなったようですが)宣祖王を捕まえられれば王手、だったんでしょうが、それは失敗しましたけどね。
今、文禄の役の時の日本軍の進軍経路を横に置いているんですけど、咸鏡道に入ったところまでは実に緻密な行軍のような気がするんですよ。ところがその先は一直線で明との国境近くまで行っている。これが、「補給線が伸び切った状態」ってやつなのかしらん?
>まあ、こうでもしなきゃ、日本に朝鮮の領土を置く事は不可能ですなぁ。
つまるところ、私がこの思考実験を考えた根本はこれ。李舜臣があれだけ活躍できたのは彼が防衛側の司令官だったおかげであって、攻守逆転して遠征軍を率いていたらさすがの彼といえどもやっぱりそんなにはかばかしい成果は上げられなかったんじゃないかな、と思うのです。あのハンニバルだって、結局ローマを落せませんでしたしね。
その点では、明代の鄭和は偉大だったのかなぁと思うのです。鄭和のことはよく知りませんが。
シミュレーション、付き合ってくださってありがとうございました。またなにか思いつきましたら、質問させていただきますね。ヨロシク。
朝鮮国が、宗主国の意向なしに戦争するとは思えないし、年がら年中戦争してたような国に、我から突っ込むとは考えにくい。朝鮮軍は15万人動員するのも難しいし、攻める理由もない。文教主義の国が理由なしに戦争するとも思えないし。
引用させていただいた部分には、なにひとつ反論がないんですよね、実は。なにはさておき、あの時代の朝鮮で15万の兵力をかき集めるのはそもそも無理だろう、とは、このシミュレーションを考えついた時から思ってはいました。それくらいは、私にでもわかるのである。
>あなたの友達の京都急襲案も、兵力を引き付けなければ、京都を急襲することもできないし、兵站が伸びきって、どうにもならなくなってしまう。
このために、大軍勢を九州に上陸させて、秀吉の本隊を引きつけておくんですね。それが友人の案には欠けていた、と。それはそうだな。
それと、二頭波頭戦法ってなんですか? 基本的なことも知らない奴ですいません……
ヒューマンさんの案なんですが、ものすごく大雑把に言えば、実は朝鮮出兵した日本軍がやったこともそれと似てるんじゃないでしょうか? ポイントポイントになる都(漢城とか平壌とか)を後略する時には前もって2つほどのルートに分かれて進軍し、合流して囲みこむように落す。現地の人を取り込んで、先導役にしたりする。で、王子達を捕虜にしてカードにする。(やりそこなったようですが)宣祖王を捕まえられれば王手、だったんでしょうが、それは失敗しましたけどね。
今、文禄の役の時の日本軍の進軍経路を横に置いているんですけど、咸鏡道に入ったところまでは実に緻密な行軍のような気がするんですよ。ところがその先は一直線で明との国境近くまで行っている。これが、「補給線が伸び切った状態」ってやつなのかしらん?
>まあ、こうでもしなきゃ、日本に朝鮮の領土を置く事は不可能ですなぁ。
つまるところ、私がこの思考実験を考えた根本はこれ。李舜臣があれだけ活躍できたのは彼が防衛側の司令官だったおかげであって、攻守逆転して遠征軍を率いていたらさすがの彼といえどもやっぱりそんなにはかばかしい成果は上げられなかったんじゃないかな、と思うのです。あのハンニバルだって、結局ローマを落せませんでしたしね。
その点では、明代の鄭和は偉大だったのかなぁと思うのです。鄭和のことはよく知りませんが。
シミュレーション、付き合ってくださってありがとうございました。またなにか思いつきましたら、質問させていただきますね。ヨロシク。
これは メッセージ 14503 (worst_human83 さん)への返信です.
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