北朝鮮

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bikitann05様

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/04 14:56 投稿番号: [14398 / 44985]
  はじめまして。
  レス、ありがとうございました。

>   釜山の竜頭山公園山頂から釜山港を眺める李舜臣の銅像を見るといつも頼もしく感じるのは私だけでしょうか?。

  李舜臣はかっこいいですね。私も、韓国に行ったら是非この銅像を見たいと思っています。

>*私の歴史上で知る人物は数限られていますが、偉大な人物です。

  言葉遣いが不十分なために誤解をお与えしたようで、ごめんなさい。私が言いたかったのは、「一つの王朝の創設者」になるには彼一人の力では不十分だっただろう、という意味です。(汚れ役を引き受けてくれる人が必要かと)司令官としては、実に天才的な武将だったと思います。

>李氏朝鮮時代の名将軍。壬辰倭乱で押し寄せた日本軍を撃退した水軍の将。彼の功績を妬む同僚に陥れられ、日本軍と内通した疑いによって爵位を剥奪され投獄生活を余儀なくされます。

  この同僚というのが元均ですね。この人について面白い記述を見つけましたので、転載します。
「はじめに壬辰倭乱が起きたとき、元均が李舜臣に助けを求めたが、李舜臣は進んで馳せ参じたのではない。(当時慶尚右水使であった元均が、敵の侵入を知らせて火急に援軍を要請したにもかかわらず、全羅左水使であった李舜臣は王命がないという理由で軍を動かさなかった。危急な場合、任意に軍を動かす便宜従事の権限を行使しなかったのである。李舜臣が援軍を送ったのは、日本軍の侵入がはじまってすでに二〇日後のことであった。)敵を負かすために元均は死をも恐れず、つねに先鋒に立って士気を高め、勝利で得た戦功は李舜臣と同じなのに、彼が将帥の首をはねて奪った船は反対に李舜臣に横取りされた。李舜臣に代わって統制使となった時に、元均は二、三度状啓を上げて、釜山沖合いで全力をあげて倭敵のなかに攻め入っても戦いきれない実情を訴えた。ところが備辺司では攻撃することを督促し、都元帥の権慄も出陣を促した。やむをえず元均は、必ず敗れることがわかっていながら鎮を発って敵と戦ったが、全兵士が溺れ死に、自らも命を国に捧げた。(後略)」(『朝鮮の歴史がわかる100章』   朴垠鳳著)

>この   日本軍と内通したと言うのはもっての外で、日本の武将が秀吉のやり方に反発して寝返って   李将軍と共に戦ったのが本当だそうです

  この日本の武将というは、和名「沙也可(さやか)」、朝鮮名「金忠善」のことだろうと思います。金忠善に関しては詳しく書いてあった本を図書館から借りてきていたのですが、貸出し期限が来てしまったので読めないまま返却してしまいました。

  以後、よろしくお願い致します。
  今後は、「ビキタン」さんとお呼びしてもいいですか?



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